ホーム

認知症を学ぶ

down compression

介護を学ぶ

down compression

専門家から学ぶ

down compression

書籍から学ぶ

down compression

健康を学ぶ

down compression
健達ねっと>専門家から学ぶ>ドクターズコラム>家族から学ぶ認知症ケアの基本

家族から学ぶ認知症ケアの基本

浜松医科大学臨床看護学講座

鈴木みずえ先生

スポンサーリンク

「あんなに元気だったのに……」

時間をかけて受け止めた母の認知症私は長く高齢者看護を実践し、認知症ケアについても研究してきたつもりですが、家族のこと、身近な母のこととなると、何もできず混乱してしまいました。自分を誰よりも支え、見守り、助けてくれた母。65歳を超えても友人と元気に過ごしていた母。あまりにも身近な存在であったために、私は母の年齢のことを忘れていました。
母は、80歳代前半までは孫の世話ではつらつとしていましたが、90歳近くなり、いつの間にか物忘れが多くなってきたので、知り合いの先生に診てもらったところ、アルツハイマー型認知症と診断されました。母は、80歳を過ぎても水泳や短歌の会などに参加し、サクセスフルエイジングを謳歌していたと思っていたので、気が付いたらいつの間にかフレイル高齢者になっていた――そんな印象です。
最初の頃は、あんなに元気だった母の今の状況を受け入れることができず、母の物忘れを責めてしまい、そんな自分も辛く、落ち込んでいた時期もありました。家族は、本人の一番よい時代を知っており、家族としての愛情があるからこそ、以前のままでいてほしいと期待してしまいます。
しかし、加齢は誰にでも訪れます。母のことも、時間はかかりましたが、さまざまな加齢の現象に向き合いながらも一生懸命生きている大切な人であり、私自身も加齢現象を感じる年齢になったので、ともに加齢を楽しんでみようという気持ちになりました。

スポンサーリンク

母が“よい状態”で、心地よく過ごせるようにフォローする

母に接するとき、私が特に心がけていることは、母に「パーソン・センタード・ケア」の“よい状態”をできるだけ保ってもらうことです。そして、母のできることや、好きなこと、好みを優先して、主体的に行ってもらうようにしました。すると母だけでなく、私も“よい状態”で、お互いに気持ちよく過ごすことできるようになりました。
「パーソン・センタード・ケア」は、認知症ケアの理念のひとつです。「パーソン・センタード・ケア」では、ケアを提供する人と受ける人の枠を超えて、人々に寄り添い、信頼し合う相互関係の中からその人を尊敬し、ニーズに注意深く対応して、その人の能力を発揮できるように支援することに着目しています。[表1]のように、“よい状態”と“よくない状態”を把握することを重視するのです。
[表1]パーソン・センタード・ケアにおける認知症高齢者のよい状態・よくない状態
よい状態よくない状態
・表現できること
・ゆったりしていること
・周囲の人に対する思いやり
・ユーモア
・創造的な自己表現
・喜びの表現
・人に何かをしてあげようとすること
・不快、退屈
・無関心で引きこもっている
・諦め
・不安・怒り・悲しみ
・苦痛等の状態が放置されている
“よい状態”とは、自分自身を表現できたり、周囲の人に対する思いやりや喜びを表現できたりする状態です。また、反対に“よくない状態”は、不快だったり、退屈な表情をしていたり、無関心で引きこもっている、何事に対しても諦め、苦痛などの状態が放置されているという状態です。これらの“よくない状態”を改善し、本人の“よい状態”を引き出していくのが、パーソン・センタード・ケアの視点です。
認知症の高齢者が、歩き回ったり、興奮したりする、いわゆる認知症の「行動・心理症状(BPSD)」も、“よい状態”のときには起こらず、“よくない状態”が継続すると起こりやすくなります。私が母と接するときも、“よくない状態”やBPSDの原因を観察して“よい状態”をめざしていくと、知らず知らずのうちに母との関係性が回復して、お互いに“よい状態”が保てるようになりました。

“物盗られ妄想”は、根底にある本人の真意を汲み取ることが大切

このような「パーソン・センタード・ケア」をめざして過ごしていると、お互いに気分がよいだけではなく、BPSDもほとんどありません。ただ1回、こんなことがありました。母の兄(叔父)が93歳で亡くなったのですが、そのお葬式の後から、「甥(母の兄の長男)から『土地を返せ』と何度も電話がかかってくる」と母が言い出したのです。
それは母が叔父に買ってもらった土地で、もともとは、以前暮らした家が建っていました。道路の拡張のために今の家に引っ越してからもわずかに残され、今は駐車場として貸しています。私から従兄(母の甥)に電話しましたが、「そんなことは言うはずもないよ。電話もしていないし……」と言っていました。
1か月ほどそのような状況が続いた頃、甥からお中元が送られてきました。すると母は「あの子(甥)はやっぱりいい子だ」と言い、すっかり安心した表情をしたのです。
母の視点で考えると、自分にはもう誰も、兄弟さえもいなくてしまったという不安や淋しさがあったのでしょう。さらには、お葬式の際には母も高齢になって、今まで自分が世話をしてきた姪や甥から声をかけてもらう場面も少なくなり、親戚の中で、自分の存在感や居場所がなくなったように感じたのかもしれません。その結果、被害的な考え方が強くなり、大事な土地を奪われる、そんな妄想が出てきたように思います。
その後、「『土地を返せ』と電話がかかってくる」とは、まったく言わなくなりました。家族も従兄(母の甥)もホッとした覚えがあります。
「物盗られ妄想」と呼ばれる行動の裏には、その人にとって大事な尊厳やプライドが失われるという、危機的状況が隠されているように思います。また、自分でできないことが多くなると、被害妄想的になりやすくなります。
母は、自分にとっての尊厳やプライドと同じ、「兄が買ってくれた大事な土地」が奪われると感じたのかもしれません。物盗られ妄想と呼ばれるものは、このように周囲の人との関係から自分の存在が忘れられたり、居場所が見出せなくなったりした状況が影響しているのかと思います。
[表2]に示しましたが、病院や施設でよく聞かれる「家に帰りたい」という行動も、裏には「ここには信頼できる人がいない」「居場所がない」「ここは安心できる場所ではない」という気持ちがあるのかと思います。「急に怒り出した!」と思われるような行動も、「自分の気持ちをきちんと受け止めてもらえない」「怒鳴られたように聞こえる」「子供のように扱われた」という気持ちの表れであったり、便秘や痛みなど、心と身体の痛み・苦痛・辛さの訴えでもあるのです。
原因に目を向ければ、それは人としての自然な言葉や行動でもあります。認知症ではない私たちと、まったく変わらないかと思います。ただ、認知症の人は、認知症という病気のために、その行動の原因が言葉で説明できないだけなのです。
[表2]認知症の人の訴えとその真意を考える

“その人のことを大事にしている”と伝えるタッチケアのすすめ

ケアを行う立場になると、どんなにその人を大事に思っていて、それを言葉で伝えても、家族というもっとも身近な立場にいながら、なかなか理解してもらえないと感じることが多いかと思います。
私は、タクティール®ケアの研究も行ってきました。タクティール®とは、ラテン語の「タクティリス(Taktilis)」に由来する言葉で、「触れる」という意味があります。手で10分間程度、背中や手足をやわらかく包み込むように触れるのがタクティール®ケアです。
“手当て”という言葉があるように、人は昔から痛いところに手を当てたりしてきましたが、このケアは私たち自身の“手”の持つ力を再認識させてくれます。何より、ケアをする相手に、「あなたのことを大事にしている」という気持ちが伝わります。実際に、私は認知症高齢者にケアを実施して、BPSDが軽減したという結果も報告しています[表3]。
[表3]認知症高齢者の行動・心理症状(BPSD)の変化について
触れることで、家族が自分を大切にしているのだと実感してもらうために、私は母に対して毎朝肩もみをし、シップを貼るのを日課の一つにしています。母の肩関節が拘(こう)縮(しゅく)してきたのに気付いたことがきっかけでしたが、触れることで自分自身も母の体調を感じたり、いろいろ気遣うことで会話も弾みます。触れることは、コミュニケーション以上に気持ちを伝え合う、人間関係の原点なのかもしれません。
日本人は、「愛している」とか「好きです」とか、相手になかなか直接言えませんが、触れることでその想いを伝えることができます。そんな想いで母の肩もみをすると、母からも「ありがとう」という言葉が返ってきます。母を過ごしやすくすることが、自分の励みにもなります。朝の何気ない日課ですが、お互いに気持ちよく過ごせる、よい循環を生んでいるように思います。
健達ねっとECサイト

認知症の人に向き合い、ひとりの人として受け止める姿勢を

認知症のケアというものは、“人が人生の最期まで人として生きるためには何が必要なのか”という、超高齢化社会に生きる私たちに突き付けられた、大きな課題でもあります。認知症ケアは、認知症の人のその体験や人生をさまざまに学ぶ、大事な体験でもあります。認知症の人の人生もさまざまであるように、BPSDといわれるものにも本人の視点からみるとさまざまな理由があります。現在、コロナ禍でなかなかケアの現場に行けませんが、身近な母が老い向かう姿から、さまざま学ぶことが多いのです。
また、認知症の人のケアは、認知症の人の生き方、価値観にも触れられる人間身あふれる創造性の高いものですが、ケアする家族や専門家の負担やストレスも指摘されています。認知症の人に向き合い、その人をひとりの人として受け止める姿勢、これはとても努力がいることですが、これが自然に身につくことで、認知症ケアが興味深く、楽しく感じ、ケアにも前向きに取り組めると思います。また、認知症の人のさまざま人生に触れることで、自分たちの個人的な苦難についても、「乗り越えられないことはない」と後押ししてくれるように感じています。
【参考文献】
鈴木みずえ『認知症の看護・介護に役立つよくわかるパーソン・センタード・ケア』池田書店 2017
鈴木みずえ『認知症の介護・看護に役立つハンドセラピー改訂版』池田書店2021
薬の使い方

浜松医科大学臨床看護学講座

鈴木 みずえすずき みずえ先生

医科学修士(筑波大学)
医学博士(筑波大学)
日本老年看護学会

  • 医科学修士(筑波大学)
  • 医学博士(筑波大学)
  • 日本老年看護学会

スポンサーリンク