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認知症を知り、“心が晴れる”対応を

おくむらmemoryクリニック 理事長

奥村歩(あゆみ) 先生

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認知症は、高齢社会が背負う宿命。誰でもなる可能性がある

皆さん、長谷川和(かず)(お)先生のお名前をご存じでしょうか。
長谷川先生は、世界の認知症医療・ケアの第一人者です。認知機能を評価する「長谷川式簡易スクリーニング検査」の開発者としても有名でした。
その先生が、昨年末、お亡くなりになりました。

先生は2017年に、自らが認知症になったことを公表されました。
周囲に「認知症になったことを公表することに迷いはなかったのか?」と、問われると、躊躇(ためら)わず、こうおっしゃいました。

「ない! それが僕の最期の務めだろう。認知症の専門医だって認知症になるのだから。隠す必要は何もないんだよ」

先生は、誰が認知症になってもおかしくないことを、身をもって示されたのです。
認知症は、高齢社会の宿命です。
しかし認知症は、長谷川先生の教えに沿い、正しく理解し、ケアすれば、怖いものではありません。

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認知症になっても、家族への思いやその人らしさはなくならない

コロナ渦の「新しいライフスタイル」は、認知症の方とその家族に、過酷な試練を課してきました。
例えば、認知症の方が施設などに入っている場合、感染予防のため、大切な人との「ひととき」さえ、共に過ごすことは困難でした。

この状況は、認知症の症状を悪化させ、ご本人と家族を苦しめました。
私自身も、施設に入居中の母に面会することができず、寂しくつらく、心配な日々でした。

しかし私は今、このような状況下においても、人の絆は変わらないことを、より深く感じています。

認知症の方との「つながり方」は、認知症を理解し、家族が豊かに暮らすのに重要な術(すべ)です。
本人が施設に入っていても、自宅で家族と一緒に暮らしていても、周囲がとるべき基本的な姿勢は同じです。

ある家族の物語を紹介します。

◇認知症と診断された73歳・Mさんとその家族の例

73歳のMさんは、2年前から「もの忘れ」が目立つようになりました。
昨日の出来事も、先ほど話したことも、すっかり忘れてしまう状態です。病院では、認知症と診断されました。

Mさんは、親子3世代で暮らしています。
家族に「もの忘れ」を指摘されると、「俺をボケ扱いするな!」と、火がついたように怒り出します。

温厚だったMさんのキレ方に、家族は「認知症が、人をすっかり変えてしまった」と思い込み、腫れ物に触るかのように、Mさんによそよそしく対応するようになりました。
そしてMさんは、1日中、テレビの前で、ぼんやりと過ごすようになってしまったのです。

そんな、ある日の夜のことです。
Mさんのお孫さんが、ひどい腹痛に苦しみ出しました。
子どものただならない痛がりように、両親は戸惑いながら、慌てふためいていました。

そのとき、異様な気配を感じたMさんが、寝室から現れました。そして、

「この痛がり方は、お前(Mさんの息子・40歳)が小学生のころ、盲腸(急性虫垂炎)を切ったときと似ているな。
すぐに病院に連れていかないと」

と言ったのです。

Mさんのアドバイスに従って緊急入院したお孫さんは、無事に治療を受けることができ、事なきを得ました。
後日、Mさんは「お前が盲腸になったときは、母さん(妻)と一緒に心配してなあ。病室で泊まったよ」と息子さんに話したのだそうです。

急性虫垂炎になった息子さん本人ですら忘れてしまっている昔のことを、認知症のMさんが鮮明に覚えていた事実に、家族はとても驚きました。

そして、気がついたのです。
「Mさんは認知症になっても、家族を思いやる気持ち、そして“Mさんらしさ”は決して変わっていない」ということを。
Mさんの中には、自分たち家族との絆が、深海に沈んだ宝箱のように潜んでいたのです。

その後、家族は“Mさんとの絆”を大切にするよう、接し方を変えました。
古いアルバムを見ながら、思い出話をし、笑ったり、感謝をしたり……。
すると、Mさんは再び、温厚で元気な姿を取り戻していったのです。

長谷川先生が、その晩年、次のようにおっしゃっていました。

「皆と同じように悲しいときは悲しいし、うれしいときはうれしいんだ。認知症になったからといって、何もかもわからなくなるわけじゃないんだ。僕が言うんだから、これは確かだよ」

BPSDは、認知症の方のSOSのサイン

認知症では次のような、脳の働きが低下する中核の症状が現れます。

1)近時記憶(身近の出来事を、脳のメモ帳に記録する機能)の低下

2)視空間認知(対象の形や自分との位置関係を認識する脳機能)の障害

3)遂行実行機能(頭に思い描いた動作を段階ごとに実行する脳の働き)の低下

4)失語症(人の言葉が理解できない。自分の気持ちを伝えられない)

そして、二次的に現れる症状が、「BPSD」です。

BPSDとは、認知症の方が、上記の1)~4)などの中核症状によって、生活が不自由になり、ストレスを感じることによって現れる、行動・心理の症状のことです。
BPSDは、認知症の方が周囲との関係性の変化、すなわち「つながりの希薄さ」を感じて発するSOSのサインであるともいえるでしょう。

例えば、前述のMさんのように「もともと温和だった人が怒りっぽくなる」のも、BPSDの一つです。

認知症が始まった方に対して、家族はどうしても「現状を分かって欲しい」と思います。
そのため、本人の「間違え」をストレートに訂正したり、「事実」を論理的に指摘したりしがちです。
しかし、本人は自覚がない、身に覚えがないから、かえって混乱し、自尊心が傷つけられます。そのため、怒りを覚えてしまいます。

逆に、外出(井戸端会議・ゲートボールなど仲間との触れ合い)・日課(朝ドラを観るなど)をこなさなくなり、「元気だった方が、意欲が低下し、無気力になる」のも、BPSDです。
近時記憶の低下や失語症のため、周囲の人と話が噛み合わず、心の交流が不自由になって、元気がなくなるのです。

BPSDこそ、認知症の方とその家族をもっとも苦しめます。
これが、認知症という病気とそのケアにおいて最大の関門となります。

本人との“絆”を大切にしよう

認知症ケアの王道は、失われつつあった周囲の人と本人との「つながり」を取り戻し、BPSDを緩和させることです。

認知症の方の記憶は、タマネギのようなもの。外側の皮(近時記憶)が落ちても、芯は大丈夫なことが多いのです。
その人らしさを形作る芯の部分は、永く残ります。

例えば、子育てをした時代や、自身が働き盛りだった、輝いた時代の記憶は、生き生きと残っています。
家族や周囲の人は、本人がついさっきのことを忘れてしまうことを嘆くのではなく、今でも覚えていることに焦点をあてて接してください。
そして、これまでつないできた絆を大切にしてください。そうすれば、本人のみならず家族の心も晴れることでしょう。

新型コロナも認知症も、私たちの絆を断つことはできないのですから。

とはいえ、無理は禁物です。
認知症の方のケアにおいて、家族が心に余裕を持つことが、もっとも大切なのです。
家族の健康・心理状態は、ストレートにケアへ影響します。

家族だけで抱え込まずに、早い段階から介護保険サービスなどを有効利用することが最善です。
認知症の方のケアは大変なこともありますが、よく生き抜くために、話を聞いてくれて心を許せる、周りの人の輪を広げましょう。

【著者プロフィール】

奥村 歩(おくむら・あゆみ)

おくむらメモリークリニック理事長
医学博士・日本脳神経外科学会(評議員)・日本認知症学会(専門医・指導医)

略歴

昭和36年12月13日生

昭和63年           岐阜大学医学部卒業
平成10年4月    North Carolina Neuroscience Institute に留学
平成12年1月    岐阜大学附属病院脳神経外科 病棟医長併任講師
平成20年7月    おくむらクリニック開設
平成27年6月  おくむらmemory クリニック(岐南町)新設
現在、「もの忘れ外来」の診療を中心に展開している。

一般向けに、認知症の理解と予防、対応や、スマホの使い方など、脳の健康を啓蒙するテレビ番組への出演が多い。
「クローズアップ現代」(NHK)、「健康カプセル! ゲンキの時間」(CBC・TBSテレビ)、「あさイチ」(NHK)、「主治医が見つかる診療所」(テレビ東京)、「世界一受けたい授業」(日本テレビ)など。

出版物は、ベストセラー・ロングセラーの『ボケない技術』(世界文化社)、『その「もの忘れ」はスマホ認知症だった』(青春出版社)など。
最新刊は、認知症・脳過労の最新情報を盛りこんだ、『スマホ脳の処方箋』(あさ出版)、9月20日発売。

※画像はイメージです

奥村歩 著『スマホ脳の処方箋』(あさ出版刊)

 

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