看護師、ライター
小林光恵 先生
小林光恵 先生
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親の介護を通じて感じていること
92 歳になる実家の父が、この春にパタリと車の運転をしなくなりました。
地方住まいの場合、車が使えないと、買い物やゴミ出し、用事などもろもろのことが非常に困難になります。
それに、二人住まいの両親ともインターネットを利用しないタイプで、母(90 歳)は運転免許を持っていない上に、難聴が一気に進み、電話でのやりとりも難しいという状況。
そのため、父の車の運転は、なくてはならない両親の暮らしの“足”でした。
それができなくなると、誰かの助けが日常的に必要なることを父は十分承知しながら、車の運転を担っていたのだと思います。
しかし、それでも父は、認知機能の低下を自覚する何かがあり、運転をやめたようでした。
事故が起きてからでは取り返しがつかなくなってしまいますから、非常に賢明な判断だと思います。
ただ、車の運転という役割がなくなってからというもの、それ以外の生活の一切を母に任せていた父は寝てばかりとなり、サルコペニア(加齢性筋肉減弱現象*1)となり、それにともなって認知機能も低下しました。
こうした事情と、母の体力の衰えもあり、この夏から私は週 3 日を実家で過ごし、両親を介護する生活となりました。
地方住まいの場合、車が使えないと、買い物やゴミ出し、用事などもろもろのことが非常に困難になります。
それに、二人住まいの両親ともインターネットを利用しないタイプで、母(90 歳)は運転免許を持っていない上に、難聴が一気に進み、電話でのやりとりも難しいという状況。
そのため、父の車の運転は、なくてはならない両親の暮らしの“足”でした。
それができなくなると、誰かの助けが日常的に必要なることを父は十分承知しながら、車の運転を担っていたのだと思います。
しかし、それでも父は、認知機能の低下を自覚する何かがあり、運転をやめたようでした。
事故が起きてからでは取り返しがつかなくなってしまいますから、非常に賢明な判断だと思います。
ただ、車の運転という役割がなくなってからというもの、それ以外の生活の一切を母に任せていた父は寝てばかりとなり、サルコペニア(加齢性筋肉減弱現象*1)となり、それにともなって認知機能も低下しました。
こうした事情と、母の体力の衰えもあり、この夏から私は週 3 日を実家で過ごし、両親を介護する生活となりました。
看護師の私でも、家族の立場となると冷静になれない部分があり、予定通りにいかないことも多々で、いろいろな点で余裕がなくなることもあります。
しかし、主治医の先生やケアマネージャーさん、訪問看護師さんの存在がたいへん心強く、地域包括ケアシステムに支えられていることを実感している今日この頃です。
この記事を読んでくださっているみなさまは、それぞれさまざまな状況下にあると思いますが、介護問題に直面している方は、医療・介護のプロを大いに頼りにして、心身の荷を軽くしていただきたいと思います。
さて、今回のコラムでは「終末期に寄り添う」というテーマをいただきました。
介護を続けていくなかで、いつかは訪れる最期のとき。私自身、両親の介護をしながら、いろいろと感じることがあります。
そこで、知識として備えておくとよいと思われる点などをお伝えしたいと思います。
しかし、主治医の先生やケアマネージャーさん、訪問看護師さんの存在がたいへん心強く、地域包括ケアシステムに支えられていることを実感している今日この頃です。
この記事を読んでくださっているみなさまは、それぞれさまざまな状況下にあると思いますが、介護問題に直面している方は、医療・介護のプロを大いに頼りにして、心身の荷を軽くしていただきたいと思います。
さて、今回のコラムでは「終末期に寄り添う」というテーマをいただきました。
介護を続けていくなかで、いつかは訪れる最期のとき。私自身、両親の介護をしながら、いろいろと感じることがあります。
そこで、知識として備えておくとよいと思われる点などをお伝えしたいと思います。
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そもそも「終末期」とは?
「終末期」について、「実用日本語表現辞典」では次のように説明しています。
1987 年以降、厚生労働省は、終末期医療についてさまざまな検討を重ねてきました。
その結果、“最期まで尊厳を尊重した人間の生き方に着目した医療を目指すことが重要である”という考え方に基づき、2015 年 3 月には、従来使われていた「終末期医療」という表記を「人生の最終段階における医療」に変更することにしました。
それを受けて、公的には「終末期医療」という言葉が使われない方向となり、現場の医療従事者も「ターミナルケア」など、別の言い方を用いるようになったという印象です。
その結果、“最期まで尊厳を尊重した人間の生き方に着目した医療を目指すことが重要である”という考え方に基づき、2015 年 3 月には、従来使われていた「終末期医療」という表記を「人生の最終段階における医療」に変更することにしました。
それを受けて、公的には「終末期医療」という言葉が使われない方向となり、現場の医療従事者も「ターミナルケア」など、別の言い方を用いるようになったという印象です。
このような変化があるため、一般的に使われる「終末期」という言葉にも、今後、捉え方、用い方に変化があるかもしれない、と含んでおくとよいかもしれません。
本人に寄り添うための備えとして知っておきたいこと
死の迫った、いよいよの時期によく起きる現象について知っておくと、不安や心配、動揺をできるだけ少なくし、落ち着いて相手に寄り添うことができるようになります。
備えの知識となりそうな点をいくつか紹介します。
備えの知識となりそうな点をいくつか紹介します。
①睡眠時間
死が訪れる1週間前ごろから、眠る時間がだんだんと長くなっていきます。
そして、1、2 日前~数時間前ごろからは、声をかけても目を覚ますことが少なくなります。
そして、1、2 日前~数時間前ごろからは、声をかけても目を覚ますことが少なくなります。
②食事の様子や量
飲食することが減り、飲み込みがしにくくなったり、むせ込んだりすることがあります。
③尿の状態
尿の量が少なくなり、色が濃くなります。
④喉の音
だ液をうまく飲み込めなくなるため、喉のあたりでゴロゴロという音がする場合があります。
医療では「喘(ぜん)鳴(めい)」と呼ばれます。
眠っている状態でゴロゴロと音がするときは、苦しさは少ないと考えられています。
医療では「喘(ぜん)鳴(めい)」と呼ばれます。
眠っている状態でゴロゴロと音がするときは、苦しさは少ないと考えられています。
⑤呼吸の状態
呼吸が不規則になったり、呼吸するときにあえいでいるように顎や肩が動いたりすることがあります。
これは苦しいからではなく、肺の動きが低下するため首が動くことで自然に起きる状況で、心配ありません。
これは苦しいからではなく、肺の動きが低下するため首が動くことで自然に起きる状況で、心配ありません。
⑥手足の状態
血圧が下がり血液の循環が悪くなるため、手足の先が青ざめ、冷たくなります。
寄り添い方は、さまざま。自分たちができる方法で OK
先日、同い年の女友達が言いました。
「親の代わりに買い出しに行ったり、部屋を掃除したりすることも介護なんだってね!
私、食事の介助をしたり、身体を拭いたり、車椅子を押したり、トイレの手伝いをしたりとか、直接的な世話しか介護とはいわないと思っていたの」
彼女は、数年前に両親を順に見送りました。
実家から車で 30 分ほどの地に家族と暮らしている彼女は、直接的な世話よりも、買い出しなどの外回り的な支援しかできなかったため、介護はあまりしてあげられなかった、と思っていたそうです。
「親の代わりに買い出しに行ったり、部屋を掃除したりすることも介護なんだってね!
私、食事の介助をしたり、身体を拭いたり、車椅子を押したり、トイレの手伝いをしたりとか、直接的な世話しか介護とはいわないと思っていたの」
彼女は、数年前に両親を順に見送りました。
実家から車で 30 分ほどの地に家族と暮らしている彼女は、直接的な世話よりも、買い出しなどの外回り的な支援しかできなかったため、介護はあまりしてあげられなかった、と思っていたそうです。
介護において、直接的なことと距離のある人が行えることがあるように、寄り添うのも、実際にいつもすぐそばにいてそうするのと、身体はそばにいなくても、文字や声、動画でやりとりするなど、その時々にできる方法で寄り添う形があります。
また、前項のような“いよいよの時期”となり、そばで寄り添う場合は、たとえば、以下のようなことをしてさしあげるのもいいでしょう。
また、前項のような“いよいよの時期”となり、そばで寄り添う場合は、たとえば、以下のようなことをしてさしあげるのもいいでしょう。
- ご本人を囲んで、いつものように普段の会話をする。
- 手や足をやさしくさすったり、乳液やオイルを使ってマッサージしたりする。
- ご本人が好きな音楽を流す。
- ご本人が好きな飲物や水で、唇をしめらせてあげる。
介護に携わるみなさまの心と体の負担が少しでも軽くなれば、幸いです。
【注釈一覧】
*1)加齢にともない、筋肉量や筋力が低下すること
【注釈一覧】
*1)加齢にともない、筋肉量や筋力が低下すること