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続くコロナ禍での認知症サポート

メモリークリニックお茶ノ水
朝田 隆 先生

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“Withコロナ”を前提とした社会へ

新型コロナウイルスの発生から4年目に入りました。すでに8回の波、つまり感染者数の急激な増加を経験した今日、マスク着用に代表される当初の国の感染予防対策が変化してきました。また、コロナの完全シャットアウトという方針も同様です。つまり、「Withコロナ」の標語のように、コロナと共存せねばならないか? と、社会の姿勢も変わってきたようです。
このような状況下、認知症患者や、彼らを支える介護者の関わり方も、いつの間にかシフトしてきたように思われます。たとえば、コロナ禍前への復帰を望む声がある一方で、コロナ禍で生まれ、普及したIT技術の取り入れは、当然のことと考えられるようになりました。
これらの状況をふまえ、今回のコラムでは、私がこれからの認知症ケアの方向を考える上で大きなヒントになると考える2つの例を紹介し、私なりの説明をしたいと思います。

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認知症ケアの基本は、“なじみの人間関係”の維持

わが国の認知症ケア・介護の夜明けは、1970年代かと思われます。この当時、かつての国立療養所菊池病院(現在の独立行政法人国立病院機構菊池病院)の院長であった室(むろ)伏(ふし)君(くん)士(し)先生は、半世紀後の今にも通じる、認知症ケア・介護の基本を示されました。
これについて、室伏先生が当時書かれた文章を以下に抜粋します。ポイントは「なじみの人間関係」にあります。

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痴呆(認知症のこと)性高齢者では人間関係、知的能力、生活史を失い、これが痴呆を促進させたりする。このような事態に対しては、生きる頼りの拠りどころの人、場、状況、物を与えると良く、特になじみの仲間が重要で、これはメンタルケアの基本となる。他人どうしの老女たち(特に老年痴呆)が、お互いに迎合・同調的に、自分なりの一方的な話のうなずき合い(偽会話)や、楽しみ、手仕事、日常行動、寝食などの生活をともにして毎日一緒に暮らしていると、数週~数ヵ月たつと親しくなった相手を昔からよく知っている兄嫁、いとこ、小学校の同級生、あるいは男性老人に対して夫などと勘違いしていったりする(既知化)。これはなじみの心(親近感や同類感)で結ばれていて、安心・安住がもたらされている。“なじみの人間関係”の意義は、これによって異常行動や精神症状が消退すること(たとえば悪い動きの徘徊は、なじみの仲間との散歩という良い動きに変わる)、またなによりも感情や意欲面が活発化してきて、生き生きと楽しげに暮らしていくことです。

(室伏君士著「痴呆性高齢者の心理-その理解と対応-(心と社会 No.98 30巻4号 特集 高齢者の介護)」から抜粋し引用)

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これを要約すると、“人間は、認知症になろうがなるまいが、自分だけでは生きられない。「なじみの人間関係」があって初めて安心・安住がもたらされる”というものです。
こう考えるとき、コロナ禍がもたらした最大の悪は、ソーシャルディスタンスに代表されるような“「なじみの人間関係」崩し”だったかもしれません。Withコロナの認知症ケアにおいては、必要な感染症対策は引き続き行いながらも、できる限りこうした関係を破綻させないような関わり方が望まれます。

共感し、受け入れる。それだけでもケアにつながる

さて、今年の2月に、ある民放のニュース番組の中で、認知症ケアに関してとても興味深い報道がありました。
その番組では、京都府にある特別養護老人ホームで、91歳という年齢にも関わらず、現役で介護士をしている細井さんという女性が紹介されました。番組制作者らは、彼女にしかできない認知症患者に対する接し方や考え方があると聞いて、取材したのです。
たとえば、大声を上げて暴れる方には、細井さんはその人がよく話す兄弟の話をして、自然と落ち着きを取り戻させます。また、語りかけはしなくても、利用者の体に手をそっと置くなどして、静めることもあります。
番組において私は、この91歳の介護士が次々に示す“ワザ”の裏に何が隠れているか、解説をしてほしいと頼まれました。そこで、ディレクターとともに、いくつかの撮影場面を丁寧に拝見することから始めました。

感想をひと言で表すなら、その極意は「穏やかに相手を受け入れていること」だと思いました。
細井さんは、言葉は多くないし、大きな声で語りもされません。何気なく見ていると、何が、どこがすごいのか、どのあたりがワザなのか? を、つい見過ごしてしまうくらい、静かな自然体の対応なのです。

たとえば細井さんが、なにやら争っている二人の女性の間に入っていったとき。仲介の際によくある「まあまあ……」という、いさめ役の態度はまったくありません。なにかぶつぶつ言っているな、程度の話しかけです。
ところがよく見ると、細井さんは、一方の女性の肩甲骨あたりに手をあてています。驚いたのは、何気なくあてているかのように見える手の指先は、丁寧に背中をなでていたことです。
こんな情景が1分も続いたでしょうか? 先ほどまで怒り口調でなにやら攻撃していた女性が、いつの間にか平静さを取り戻したのです。

振り返ってみて、細井さんは「まあ、あんさんの言いたいことも、気持ちもわかるわ、そやそや……」というメッセージを、あのぶつぶつ口調に加えて手と指先で伝えたのだな、と思います。つまり、細井さんが“仲介”ではなく“受け入れ”をしたことで、争っていた当事者は、怒っても争ってもしょうがないと悟ったのだなとわかりました。
だから、この場面のカギは、「わかってもらえたこと」、ちょっと難しく心理学的に言えば、「承認されたこと」とまとめられるでしょう。

“自分の存在を認めてほしい”という思いを満たすことが大切

マズローという心理学者が提唱した「欲求段階仮説」というものがあります。それによれば、人間の欲求には優先順位があるそうです。
1番は、食事・睡眠の生理的欲求、2番は安全の欲求です。つまり、動物である人間が生きていく上での不可欠な要素、最低限を求めるものです。
これらが得られたら、3番目の欲求として、社会から認められたい「承認欲求」が生まれます。これは、社会的な存在といわれる「人」の心にとって、基本となる条件です。

認知症でなくても、さらに認知症になればもっと抱きがちな、ある思いがあります。多くの人の場合、それをあえて口にはしないでしょうが、“「自分は正当に認められていない」という思い”です。だからこそ、自分という存在を認めてもらうことが、平穏な心で生きていく上で不可欠なのです。
そのことをふまえると、さきほどの細木さんの行為の裏に隠れているのは、彼女の五感をフルに活用した「あなたの存在を認めているよ」というメッセージ伝達のワザだと、私は思ったのです。

終わりに、認知症介護の世界では「説得より納得」とよく言われます。
ある意味、人は理屈ではなく感情で生きています。他人に諭されたからでなく、自分から悟れたなら気持ちがいいのです。それだけに、相手の承認欲求を満たして上げることは、前述した「なじみの人間関係」の維持とともに、認知症者の感情的な安定、あるいは安寧をもたらすという意味で、認知症ケアの根本だと考えます。
今後、コロナとの共存において、生活様式がますます変化していく中でも、ぜひ意識してもらいたいものです。

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監修者 メディカル・ケア・サービス

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