生活の中で「もの忘れ」が増えてくると、それが年齢によるものなのか、認知症など何らかの病気によるものなのか、不安になる方もいらっしゃると思います。
そんなとき、相談先のひとつとして頼っていただきたいのが“もの忘れ外来”です。
もの忘れ外来は、「もの忘れ」と表現される記憶障害をはじめとする認知機能の衰えを、専門的な視点で診療する外来です。
身体的な診察や神経学的な診察を行い、認知機能検査や頭部CT・MRIといった画像検査の所見を総合して、適切な診断につなげます。
今回は、私の勤めるもの忘れ外来での診察例を、患者さんとそのご家族とのやり取りを交えながら紹介します。
診察を担当する医師がどんなことを考え、患者さんのどんな様子に注目しているのか、その一例として参考にしていただければ幸いです。
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診察の流れ①まずは事前問診や、これまでの診療情報をチェック
私の心の声(以下、心の声):さて、今日の新患患者さんの一人目は……
――ソーシャルワーカーさんの事前問診情報をチェック。
心の声:いつもいつも、詳細にありがとう!
この事前問診、けっこう時間がかかっているはずだよなあ……
――かかりつけの先生からいただいた、診療情報提供書をチェック。
心の声:いつもご丁寧にありがとうございます!
最敬礼!
……あらま、診察待機期間が2カ月近くになっているなあ。
なんとかしなきゃ……
うーんと、79歳男性Aさん。
60歳頃から高血圧と糖尿病を治療中。
退職後は畑仕事とグランドゴルフが生活の中心。
ここ2年ほど前から、同じことを尋ねたり、奥さんが話したことを忘れたりする様子。
グランドゴルフに行かなくなって、畑仕事や散歩の頻度も減っている。
テレビを見ながらうとうとしていることも多いらしい。
耳や目は大丈夫。
ご友人との交流もほとんどない様子。
ん?
『歩き方がヨボヨボになった』……ってなんだろ。
右ひざが痛いらしい。
確かに、2年前にうちの整形外科に2回だけ受診歴があるなあ。
奥さんと二人暮らしで、ゴミ出し、洗い物、庭掃除なんかは手伝う様子。
素晴らしい!
お薬の管理も大丈夫みたいだ。
かかりつけの先生には、お一人で受診。
軽自動車の運転もしている。
最近トイレの回数が増えているし、ときどき尿もれもあるみたいだ。
奥さんが指摘すると怒るみたいだなあ。
血液検査では、糖尿はいい感じだ。
胸部レントゲンも心電図もOK。
お酒はもともと飲めないし、タバコも50代でやめている。
認知機能検査(*1)は、と……日付がちょっと曖昧だけど、曜日は大丈夫。
100から7を引いていくのが途中でつっかえる。
3つの言葉を後で思い出すのは、1つはヒントなしでOK、1つはヒントありでOK、1つはヒントがあっても思い出せない。
野菜の名前や「さ」のつく言葉の列挙で時間がかかって減点あり。
時計描画は正確だ。
脳のMRIはと……うーん、これはこれは……。
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診察の流れ②診察は、患者さんが部屋に入ってきた瞬間から始まる
私:そんじゃ、入ってもらいましょうか。
看護師:はーい。Aさーん、お待たせしました、どうぞ~。
――Aさんが診察室に入ってくる。その様子を笑顔で観察。
私:(確かに歩行はちょっと『ヨボヨボ』……というか、足幅がちょっと広めで“ちょこちょこ感”がある。手振りはOK。ふるえもない。ちょっと表情が硬い。ズボンがちょっとルーズな感じ。ズボンの前に少しシミがあるかなあ。丸椅子に座るとき、ちょっとぎこちない。同伴は、奥さんお一人。こちらもちょっと緊張気味だな……)
Aさんこんにちは。
この病院は初めてですか?
Aさん:何年か前に、ひざが痛くてここの整形に来たことあるで。
年のせいだと言われたし、レントゲンと湿布だけじゃった。
私:(聴力OK。以前のことはパッと思い出せる。喋り方も大丈夫だな)
へーそうなんじゃ。
でも、私は初めてお会いしますね。
――Aさんに自分の名札を見せる。
Aさん:『脳神経内科・認知症疾患医療センター』のワクタニヨウスケ先生!
ん?
この写真は、今より若く見えるなあ。
私:(視力も見る目も読字もOKだな)
そうなんです。
10年前の写真です。
Aさん:そりゃ詐欺(さぎ)じゃが。
Aさん妻:おとうさん、いきなり失礼な!
先生ごめんなさい。
Aさん:また、おめえが!
Aさん妻:前はこんなんじゃなかったんですよ。
最近怒りっぽいし。
私:まあまあ。
先週も別の方に同じことを言われたから、そろそろ名札の写真を新しくしないとね。
後ろの看護師さんも笑ってるよ。
――AさんもAさん妻も、大笑いする看護師さんを見て笑顔に。
私:それはそうと、今日はどうしてまたここに来ることになったんですか?
Aさん:こっちと娘が、『行け、行け』言うから来たんじゃ。
私:あらあら、奥さんと娘さんがご心配されているんですね。
Aさんご自身はどうですか?
Aさん:こっちからは『ボケた』と言われるし、娘からは『ニンチの始まりじゃないか』と言われたんじゃ。
私:Aさんご自身は、心配なんですか?
Aさん:年とったらこんなもんじゃろ。
Aさん妻:一日中、テレビの前でじーっとしてるんですよ!
うとうともしてるし。
Aさん:また、おめえが!
ちゃんとゴミ出しも洗いもんも、庭掃除もしとろうが。
Aさん妻:それはそうだけど、グランドゴルフも散歩や畑もほとんど行かんようになったよ。
Aさん:そりゃ、コロナのせいじゃ。
私:そういうこともあるかなあ。
でも、足腰や糖尿病を悪くしないためにも、散歩ぐらいしてもいいかもねえ。
Aさん:○○先生からも言われたなあ。
でも、たいぎいが。
私:そうするとAさんは、ニンチじゃなくて、『たいぎい病』かもしれませんねえ。
Aさん:そんな病気あるんか?
私:今、私がつくりました。
Aさん:先生、おもしれえなあ!
診察の流れ③認知機能だけではなく、生活動作にも注目する
――緊張感も少しほぐれて診察は進み……
私:ところでいきなりですが、私がちょっと気になるのは、Aさんの歩き方です。
Aさん:年とったらこんなもんじゃろ。
私:失礼ですけど、ちょっと足を開いて、すり足みたいというか……
Aさん:こっちや娘からも、『ヨボヨボ歩き』って言われるんじゃ。
腹も立つで。
私:うーん。
でも、医者としても、さっきの歩き方は気になりますよ。
Aさん:そうなんか。
私:あともう1つ気になるのが、トイレの回数が増えていることです。
Aさん:先生、よう知っとるな。
私:あっ、ごめんなさい。
問診のときに奥さんがおっしゃっていたみたいなので……。
Aさん妻:隠しているみたいですが、間に合わないこともあるみたいなんです。
Aさん:またおめえが余計なことを言いよる!
私:ごめんなさい、でもとっても大切なことなんですよ。
Aさん:先生が謝らんでもええじゃろ。
診察の流れ④診察でわかったこと、考えられることを丁寧に説明する
私:それじゃ、そろそろ今日の体と脳の健康診断の結果を説明しますね。
Aさん:やっとか。
よろしく頼むで。
私:まず、血液検査ですが、きちんとお薬も飲んでいただいているので、糖尿病の経過はいいですね。
腎臓も肝臓もコレステロールも大丈夫です。
Aさん:そりゃそうじゃろ。
私:血液検査でわかる栄養状態の評価もとてもいいです。
奥さんのおかげですね。
「ごちそうさま」と「ありがとう」をセットで言わないといけないですね。
Aさん:たまにゃあ言いよるで。
洗いもんもしとるし。
私:素晴らしい!
……さて、脳の断層写真ですが、こちらがAさんで、こちらが同じ年代の方の写真です。
耳よりちょっと上の断面ですが、どこか違いがありますか?
Aさん:あ〜、そうじゃな。
真ん中のバナナみたいな黒いところが、ワシのほうが大きいな。
私:そうですよね。
それでは、この断面ではどうですか?
頭のてっぺん近くの断面です。
Aさん:ようわからんけど、ワシのほうが黒いシワみたいなのがないみたいじゃ。
私:素晴らしい観察力ですね!
この黒いところは、実は『髄液(ずいえき)』という脳の保護液で満たされています。
黒いバナナの形みたいなところは『脳室(のうしつ)』で、溝のことを『脳溝(のうこう)』と言います。
Aさん:ほう、初耳じゃ。
私:どうやらAさんの場合、この髄液の流れが悪くなっているようです。
髄液の流れが悪くなると、脳室が大きくなって脳を上に押し上げるので、頭の上のほうの脳溝が窮屈(きゅうくつ)になるんです。
すごく簡単に表現すると、脳が内側から圧迫されているんです。
Aさん:ほう。
で、どうなるんじゃ?
私:今、Aさんが困っていることは?
Aさん:こっちからボケとるとか、ヨボヨボとか言われれるのがいやじゃな。
私:それから?
Aさん:……シッコのことか?
先生もしつけえなあ。
私:でも、どれもこれが原因かもしれませんよ。
――MRI画像を指差す。
Aさん:そうなんか?
私:そうなんです。
お話ししたように、髄液の流れが悪くなって、脳が圧迫される病気だと思います。
Aさん:そうなんじゃ。
私:医学用語で言うと、『正常圧水頭症』という病気になります。
――Aさんに、説明用のパンフレットの表紙を見せる。
Aさん:聞いたことねえなあ……
――さらに診察は続く……
Aさんの診察を振り返って
Aさんの認知機能障害の主体は「記憶障害」ではなく、「注意障害」や「意欲・発動性の低下」、「易怒(いど)性・被刺激性」など、いわゆる“前頭葉機能の低下”が中心になっていました。
また,歩行障害や排尿障害(失禁)も顕在化しているようです。
頭部MRIでは、脳室の拡大、高位円蓋部(こういえんがいぶ)の脳溝の狭小(きょうしょう)化といった変化が見られました。
さきほどの画像をもう一度見てみましょう。
AさんのMRI画像では、同年代の方と比較すると、側脳室が拡大しており(赤矢印)シルビウス裂という部位も開大しています(黄緑矢印)。
また、高位円蓋部と呼ばれる部位の脳溝が、著明に狭小化しています(黄矢印)。
これらの症状と画像所見からは、「正常圧水頭症」である可能性が極めて高いと考えられました。
検査の説明は、できるかぎりご本人に参加していただける形で行うようにしています。
Aさんは、頭部MRIの所見をご自分なりに、しかしとても的確に表現されました。
ひと通り説明が終わると、通院が必要であることも理解されました。
次の診察では、娘さんにも来ていただいて、病像や病態について説明を行いました。
Aさんは「痛いのは嫌いじゃ!」と繰り返されましたが、何回かの外来通院の後、ようやくご自身で納得されて、髄液排出試験(タップテスト)を経て、シャント術(腰椎-腹腔シャント術)を受けていただくため、脳神経外科専門医に紹介となりました。
自動車の運転については、少なくともシャント術を受けて手術の効果がはっきりするまで中断していただくよう、診察のたびに説明しました。
最終的には、「わかった、先生がそこまで言うなら運転はしない!」と、指切りともに、涙ながらに話されました。
もの忘れ外来の診療は、一人でするものではありません。
かかりつけ医の先生、ソーシャルワーカーさん、看護師さん、放射線科専門医など、たくさんの医療スタッフとの連携が必須です。
この場を借りて御礼申し上げます。
私も、なんとか診察待機期間を短くできるようにがんばらなきゃ……。
用語解説
*1 認知機能検査
HDS-R(改訂長谷川式簡易知能評価スケール)やMMSE (Mini-mental state examination)が代表的な検査。
HDS-Rでは,「今日は何年の何月何日ですか? 何曜日ですか?」「これから言う 3 つの言葉を言ってみてください。あとでまた聞きますのでよく覚えておいてください」「100から順番に7を引いてください」「知っている野菜の名前をできるだけ多く言ってください」など、複数の項目から質問をして点数化します。
社会医療法人全仁会 倉敷平成病院
脳神経内科・認知症疾患医療センター
涌谷陽介 先生