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健達ねっと>専門家から学ぶ>ドクターズコラム>【ドクターズコラム】私が落ちた“家族介護”の落とし穴

【ドクターズコラム】私が落ちた“家族介護”の落とし穴

医学博士・保健学修士

(株)日本ヒューマンヘルスケア研究所 所長

中村 裕子 先生

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【落とし穴①】家族であるがゆえに、認知症のサインを黙認してしまうことがある

私の父は、3年前に105歳で他界しました。亡くなる1か月前まで自宅で一緒に暮らしました。私が他県に単身赴任をしていたときは、私の夫と息子が父と共に生活し、それと並行して家政婦さんに週2回、食事や洗濯、掃除などをお願いしました。

父が95歳になったとき、家政婦さんからこんな報告を受けました。

「お父さんはこの頃、ご飯を食べたのを忘れるようで、何度も私に確認に来ます」

しかし、朝夕に顔を合わせても、いつもの父と変わりなく元気なので、家族はあまり気にしませんでした。今思えば、父の認知症は、だいぶ前から始まっていたのかもしれません。

それから4~5か月ほどしたある日、これまで一人で金銭管理をしていた父のことが少し心配になりました。そこで夫(神経内科認定医)が「お父さん、今日は銀行まで車で送ってあげようか」と提案すると、父は喜んで「ひとつ、お願いします」と言い、二人で出かけていきました。そして帰ってきた夫は、深くため息をついた後、私にこう言ったのです。

「実は、銀行の駐車場に着いたら、ガードマンが駆け寄ってきて……。『ああ、今日はよかった。ご家族が一緒で。ご苦労さまです』と言って、ハンディキャップ用のスペースに案内してくれたんだ」

そして、「やっぱり、お父さんは本調子でないな」とつぶやきました。

自分たちの前ではいつも通り元気だからと、認知症の発症に気づきつつも否定してしまう。こうした落とし穴に、私たち家族も落ちてしまったことに気がついた瞬間でした。

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【落とし穴②】当事者の不適切な行為を、すべて“認知症”のせいにしてしまう

間もなく、主治医や関係者と相談して、父は介護認定を受けることになりました。父の了解のもと、自宅で認定のための面接が実施され、「要介護1」と認定されました。また、主治医からは、“アルツハイマー型認知症”の可能性の診断を受けました。

しかし、96歳になったばかりの父は、何でも自分でできると言い、「これまで通りにしてくれ」と言います。そのため介護保険サービスは使わず、家族と家政婦さんとで、日々の生活を支援することにしました。

2か月ほどして、私の勤務先にデパートから電話があり、父の注文について確認してきました。父は、サンマやマグロの缶詰を2ダース、羊羹10本などを注文したそうなのです。これまで父の買い物は好きにしてもらい、私は確認したことなどなかったのですが、認知症の診断を受けた後でもあったので、「もしかして、勘違いかもしれませんので、量を半分にして配送してください」と依頼しました。そして、「今後、万が一、父の注文で気になることがあったときは知らせてください」とお願いしました。

間もなく、デパートから商品が届きました。届いた箱を父に開けてもらうと、父は少し変な顔をしてから、何か言いたそうな様子を見せましたが、黙って箱の中身を見つめていました。私が「お父さん、注文したものと違うの?」「こんなにたくさん、一人で食べるの?」と聞くと、父は「お前と○○にあげようと思った」と言いました。

父の注文の量が多かったのは、娘達にあげようと思う親心からでした。認知症に起因した行為ではなかったようです。

あのとき、もし私がデパートから連絡があったことを伝えていたら、父はもっと深く落ち込み「どうして、お前に俺のことで電話がいくの?」と、私を問い詰めたでしょう。私は、父のプライドや尊厳を保持するために、電話のことは家族の誰にも言えなかったのです。でも、そのことが功を奏して、我が家では父の面子は保たれました。

しかし、私は心の中で父に深く詫びました。父親としての愛の心は健在だったのです。「父が必要とする注文の量を送ってください」とデパートの方に言えなかったことを、私は後悔しました。デパートの方への気遣いもあったでしょうが、おそらく私は、父の行為に対して“認知症のレッテル”を貼ったがゆえに、父の尊厳保持に向けた対応を実践したように思います。でも、それは真の実践ではなく、間違って貼ったレッテルに対応しただけでした。

【落とし穴③】認知症の人の変わりやすい脳の状態に気づけなかった

当時の父の症状は、BPSD(行動・心理症状 *1)をまれに認めると同時に、注意散漫や実行機能、そして理解力などの障害を軽く認めるものの、準備してもらった食事はほとんど自分で食べ、入浴も湯をはり着替えなどを手伝ってもらえば、自分なりに入っていました。しかし、要介護認定から2年ほど経ち、「要介護2」と判定され98歳になると、自主的に行動することがおっくうになったようでした。

ある日のことです。「お父さん、今日はお手伝いさん(ヘルパーといってもピンとこない)の都合で、お風呂は夜ではなく夕方に入るからね」と私が伝えると、父は「うん」と言うだけで、ほかに反応がありません。私は少し時間をおいて、また父に同じことを言いました。父はやはり無言で、今度はテレビを見ていました。

そこで私はこう問いかけてみました。「テレビの音、少し低くしていい?」

すると父は、「なんでだ?」と聞き返してきました。私が「お父さんに話があるの」と言うと、今度は「何?」と。私はテレビの音量を調節しながら、父に「今日のお風呂は、夜ではなく夕方に入るからね」と伝えました。

すると、父の表情がさっと変わりました。そして、父は私に、

「お前、なんで、もっと早く俺に言わないの? 夕方は相撲を見るから、ダメだ」

と言ったのです。

どうしてこんなことになってしまったのでしょうか? 少し、脳科学の視点から考えてみたいと思います。

この日、私は数時間前から、父に何度か同じことを繰り返し伝えてきたつもりです。

でも、注意障害のため、父は私の言葉を聞き逃したのでしょう。しかし、テレビの音量を調節することを契機に、父の注意力は少し刺激を受けたようで、やっと耳から入ってくる私の言葉に気がつき、反応したように思われます。そして、私の言葉を理解した瞬間に、「もっと早く言ってもらいたい」という意向が、父には生じたのです。

そうです。父は、言葉が理解できなかったのではないのです。注意障害のために、言葉そのものに気づけなかったのです。そして、やっと父の脳に言葉が届いたとき、初めて父は“聞こえた”と認識できたのです。だから、父の「もっと早く……」の言い分はもっともなことで、逆に私のほうが、父の障害に気がつけず、配慮が足りなかったのです。

これが、脳科学を専門とする私が落ちた、3つ目の“家族介護の落とし穴”でした。

家族は、認知症の人を“患者さん”や“施設の利用者さん”としてみるのではなく、やっぱり家族(私の場合は父)としてみてしまいます。そのため、私は父に対して、専門的知識を駆使して客観的に観察することができませんでした。後になって分析し、解釈して、やっと気がついた次第です。 

認知症の人の脳の働きは、波のように低調と好調を繰り返す傾向がある

認知症の人の脳では、注意機能をはじめとする多くの機能は、いつも一定の調子で機能するわけではありません。さまざまな要因から変動しやすく、波のように調子がよくなったり、悪くなったりを繰り返しています。その結果、認識できたりできなかったりする状況が生まれてしまうようです。

家族や周囲の人は、「一度やれたことは、努力すればやれる」と思い、認知症の人に何度も練習や訓練を強いることがあります。しかし、脳の機能が変動しやすいために、訓練の効果はあまり期待できないというのが最近の研究結果です。むしろ、このような不安定な脳機能状態から生じる“ストレス”を軽減するために、安心してもらえるような生活環境の調整を心がけることが大切であり、効果的であるように思われます。

認知症の人にとっての最大のストレスは、元気な頃とは異なる“不慣れな環境”で暮らすことです。認知症になっても、できるだけ以前と生活環境を大きく変えずに対応していくことが大切となります。

どうしても生活環境を変えることが避けられない場合には、認知症の当事者とよく話し合い、言葉ではなく心を通わせ合いましょう。そして、新たな環境に対して恐怖を抱かないよう、模擬体験を試みたり、その環境を見学したり、知人や尊敬する人(たとえば、同級生、元校長先生など)が、新たな環境(たとえば、入所したばかりの特養での生活場面や、デイケアセンター通所の初期の頃の場面など)で馴染んでいく様子、その過程を見せてもらったりするなどして、認知症の人自身、つまり当事者が納得することが大切です。

認知症の人が生き抜いていくには、介護者ではなく“認知症の人自身が”、「安全だ、安心だ」と感じる環境が必要なのです。安心を感じる“脳の生命維持機能”は、認知症の人の脳でも作動していることを忘れないようにしましょう。

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認知症の父の介護を通して気づいた、見落としがちな認知症介護の視点

専門職であっても、親の認知症介護は落とし穴だらけで、勉強の連続でした。

そんな私ですが、10余年の父の介護経験を通して見えてきたことがあります。それは「認知症であっても、人を思う気持ちや感性は、健康な私たちとほとんど同じ」であるにも関わらず、「認知症の人は、思うことや感じることを、適切な方法で自ら実行するのが難しい」という気づきでした。ということは、介護者が思う適切な支援よりも、『認知症の人の思うことや感じることを“実現しやすくするための支援”』が必要とされるのかもしれません。当事者である認知症の人の思いを尊重し、信頼してサポートする姿勢は、認知症の人の不安や不満をやわらげる効果があるように、私は感じました。

認知症の親の介護は、必ず終点を迎えます。終わりが見えない日もありますが、必ず終点は訪れます。できるだけ感謝の気持ちで、お互いが終点を迎えられるようにと真剣に祈り、多くの方々の支援をいただき、父と向き合った日々でした。

 

【注釈】

*1) Behavioral and Psychological Symptoms of Dementiaの頭文字をとってBPSDという。「行動・心理症状」と呼ばれ、認知症の人に現れる症状。脳疾患で生じる中核症状の影響で、日常生活面に支障があるとき、周囲の不適切な対応や、人間関係・生活環境などからもたらされるストレスが原因となって生じるとされる。

症状は2つに分けられ、1つは「心理的症状」で、妄想、幻覚、抑うつ、不眠、不安、誤認、無気力、情緒不安など。もう1つの「行動症状」は、徘徊、攻撃性、不穏、焦燥、不適切な行動、多動、性的逸脱性などが認められる。

BPSDを生じさせないために大切なことは、中核症状で生じる生活面の不自由に対して適切に対応(介護)することであり、認知症の人の思いや人格を傷つけないことだとされる。対応が適切な場合は、BPSDは軽減され、少ないと考える報告が多い。

薬の使い方

(株)日本ヒューマンヘルスケア研究所代表

中村 裕子なかむら ひろこ

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