太郎さん(仮名)は、癌が脳に転移したことにより手足の麻痺が生じて、リハビリを受けていた高齢者です。太郎さんのリハビリ時間は、いつも昼食後の13時からでしたので、病室にお邪魔するとたいていは食事後の歯磨きをされているか、時にはまだ食事中の日もありました。
食事後の太郎さんは決まって「はー、美味しかった」「まだ残ってないかな?」と食べ終えた皿のふたを開けて覗いてみるというユーモアで、付き添いの奥さんや私を笑わせてくれました。
太郎さんに対する私の印象は、持ち前のユーモアもさることながら、いつもリハビリに意欲的で、病状の深刻さとは裏腹に目標としていた一時的な自宅退院への可能性を感じさせてくれるというものでした。
しかし、太郎さんには奥さんと私に秘密にしていたことがありました。抗癌剤の副作用によってひどい口内炎ができており、食べ物がしみる感じや、痛みでまともに食事をとるのは難しい状態であったそうです。
主治医も看護師も不思議に思っていたようだと、後に奥さんから教えていただきました。太郎さんの「はー、美味しかった」「まだ残ってないかな?」は、それでも毎日のように続いていました。毎日、どんなにか痛い思いをしつつ食事をしていたのでしょうか。
ここから先は想像することしかできませんが、太郎さんはきっと、自分が美味しく食事をたいらげる姿をとおして、毎日付き添いに通ってくる奥さんを元気にしていたのでしょう。また、私が提供するリハビリ内容を前向きなものにさせてくれました。これらは、はね返って結局は太郎さん自身の生きる力にしていたのかなと思います。
人が美味しそうに食事をする姿は、見ているものを元気にさせます。おじいちゃん、おばあちゃんが孫に、お菓子だ、ケーキだ、アイスだと食べさせたいのは、孫の喜ぶ姿をとおして自分らを健康にしているとも言えるのかも知れませんね。
家族の誰かが病気の時、みんなが落ち込みつらい時間を経験します。そんな時こそ、健康な者が美味しく食事をいただくことで、病人を元気にさせることもあるのではないでしょうか。
太郎さんは忘れられない患者さんの一人です、痛みの中でも美味しく食べる姿をとおして、人と人は影響し合うという大切なことを教えてくれたと思えるからです。
太郎さんが教えてくれたことには第二弾があります、どうぞお楽しみに。