ご飯のときパーキンソン病の症状で手がふるえてうまく箸を使えず、ご飯を床や膝の上によくこぼすようになりました。特に夕飯時は薬の効果が薄れてきて幻覚があったり意識が朦朧としたりすることが多く、スムーズにご飯を食べることが難しくなってきました。
そこで、うまく食べられるように母がじーちゃんのための道具をたくさん用意しました。
・お椀
・箸
・引き出せる机
・エプロン(よだれかけ)…
【お椀】
ご飯茶碗や汁椀をプラスチックで取っ手付きのものに変えていました。手がふるえて茶碗が持ちにくそうだったので、軽くて握りやすいものに変えたんだと思います。
【箸】
手のふるえのせいで箸も使いづらそうだったので、力を抜けば自然に箸の先どうしが離れてくれる、トングのような箸を買ってきていました。
【引き出せる机】
親戚のおじさんに頼んで、ダイニングテーブルに引き出し机を作ってもらいました。
自分で椅子を引くことが上手くできなくなっていたのでどうしても体と机の間に大きなスキマができてしまいます。さらにお椀や箸も持ちにくくなっていてうまく食べられず、スキマにご飯がこぼれてしまいます。
そのスキマをうめるために作ってもらったのがこの引き出し机でした。
(食べ終わったらしまえるように可動式のものを。)
【エプロン(よだれかけ)】
床に落ちたご飯もその都度拾っていてなかなか食べ終わらないので、こぼしてもいいように母がエプロン(よだれかけ)を買ってきました。
わたしには、じーちゃんはそれらをなんとなく気に入っていないように見えました。(実際はどんどん環境が変わって困惑していただけなのかもしれないが)
わたし自身もじーちゃんの生活レベルを下げたくない、いままで通りの生活をしてほしいと思っていたので補助具やエプロンを使うことに対して正直あまりよく思いませんでした。
いま振り返ると、本人の意思を尊重したかったのと、できることが少なくなっていくじーちゃんを受け入れられなかったんだと思います。
話し合いもなく知らない間にどんどん生活環境が変わっていくことに対して、わたし自身(おそらくじーちゃんも)ついていけませんでした。
そんななか、2週間に1度、夜に母が出かける日がありました。
その日は夕飯~寝る時間はわたしとじーちゃん2人の時間でした。
じーちゃんのために用意した道具は窮屈そうに見えたので、母がいない日はそれらを使わずにご飯を食べてもらっていました。
この頃から母の行動や言動に対して対立する意見を持つようになってしまいました。