自動車運転中の事故を防ぐための心得として、“・・だろう運転”ではなく、“・・かも知れない運転”をしましょうというものがあります。ご存じの方も多いと思いますが、運転中に物陰などから人や他車が飛び出してこないだろうと思って運転するのではなく、常に人や他車が飛び出してくるかも知れないと想像しながら運転しましょうというものです。
全くもってそのとおりなのですが、特に通い慣れた道路では、つい疎かになって危険な目にあったという方も多いと思います。“・・だろう”と思っていると、見えているはずの人や他車に気づけないという、私たちの視覚の危うさに警鐘を鳴らすものです。
これは介護をする場合にも当てはまります、つまり、この方は○○ができない“だろう”と思って見ている限り、その方の言葉や動きといった大切なものが飛び出していることに気づけません。
しかし、目先を少しだけ変えて言葉や動きがある“かも知れない”と思って見るだけでも、その方にある大切な能力、大切な今が見えるようになります。
「人は見たいものしか見ようとしない」、あるいは「人は見たいように見る」などという、人の認知の偏りについて表現する言葉があります。介護者が、もし介助する気満々で目の前の方と向き合うとき、“できないだろう”を前提に、その人を見ようとしている可能性があります。
また逆もしかりでしょう、介助を必要とする方も介助される気満々でいれば、全面的に介助してくれる人として、見たいように見てしまっていても仕方ないように思えます。
“できることは自分で”というのは、高齢者の生活支援において当たり前として誰も否定はしないでしょう。しかし、“できないだろう”と見ている限り、できることは見えてきません。「人は見たいものしか見ようとしない」、そうであれば、“・・できるかも知れない”と可能性を見ようとすれば良いのです。
“・・だろう介護”から“・・かも知れない介護”へ視点が変わると、介助を必要とする人への態度まで変わってくるものです。
介護は関係性です、介助者の“・・かも知れない”という態度が、介助を必要とする方の“できるかも知れない”という気持ちまでも引き出してくれます。
“できることは自分で”を真に実践するには、“・・かも知れない介護”が原則だと思います。