母との話し合いの結果、わたしは夕飯~寝るまでの介助を担当することになりました。夜だけでも母の負担を減らしたいという気持ちがあったし、じーちゃんとゆっくりコミュニケーションをとれるのが夜くらいだったので苦痛とは感じませんでした。
まず、夕飯前にトイレを済ませます。このときにズボンだけですがパジャマに着替えさせたり、紙パンツを夜用に変えます。夕飯後は薬の効果が切れて意識が朦朧としてしまうことが多くなってきたので、じーちゃんの電源がいつ『OFF』になっても大丈夫なように着替えは夕飯前に済ませていました。
夕飯を終えたら歯磨きをするためにじーちゃんと洗面所に行きます。このとき母は食べた後の片付けや洗い物をしているので、わたしはその間に歯磨きをさせたり入れ歯の洗浄をしたりします。それぞれが関わることがないので、お互い干渉せずイライラすることも減ったように感じます。
台所から洗面所までは長い廊下があります。廊下を歩いている最中に、パーキンソン病の症状である『すくみ足』が何度も出ます。じーちゃんの感覚では「床が平面ではなくふわふわして歩くのに怖い」とのことでした。『すくみ足』で有効と言われているのが「1、2、1、2」と声掛けをすることです。そして急かさずにじーちゃんのペースに合わせると、しばらくして足が前に出てくれます。
そしてなんとか寝室にたどり着いたら寝かせるだけなのですが、ひとりで布団に入れなかったり時間がかかってしまったりする日がありました。そんなときは母の助けがないと難しいので2人で協力しました。
わたしが学生のころ、腰を痛めない移乗介助法(イスからベッドに乗り移るのを介助する方法)を学校で習ったことを思い出しました。
ベッドに腰掛けた状態からベッドの真ん中まで移乗する方法です。一瞬で、寝るベストポジションまで移乗できます。
これで誰もイライラせず夜の時間をスムーズに過ごすことができるようになっていきました。しかし、布団に入った後なんとなくじーちゃんも話したそうにしていたし、普段思っていることを聞きたいと思っていたわたしは、そこから1時間ほど2人でおしゃべりすることがルーティンとなりました。
母と役割分担をするようになり、少しスムーズに介護ができるようになってきましたが、それと同時にパーキンソン病もじわじわと進行していきました。
例えばバランスがとれなくて何度も転びそうになったり、意識が朦朧とする『OFF』の状態が多くなったり。そして以前から悩んでいた『子どもの幻覚』についても頻度が多くなってきました。
そこで、モノづくりが得意な母が「あるアイデア」を思いつき、形にしました。