職場で行われる毎年の健康診断の問診票には、1日30分以上の運動を週5日以上していますか?という質問があります。私は今の職場に就職して以来、「いいえ」に○をつけること6年連続であり、なお記録更新中です。
もちろん何の自慢にもなりませんし、少なからず人の健康に携わる仕事をしている身としては不名誉な記録であるという自覚はあります。しかし、運動をするのは大切であると頭では分かっていても、実際に行動を変えることとは別問題です。
例えば、禁煙や禁酒も健康に大切だと頭では分かっていても、そう簡単には達成できません。習慣とは変え難いものです、“運動しない習慣”もまた変え難いのだと言い訳をしておきます。
自分に置き換えて考えてみると、運動習慣のない人に運動を勧めるのはなかなか大変なことであると分かるのですが、高齢者に対して健康のためなのだからと運動して当たり前、病気の後はリハビリして当たり前という風潮が存在するのも事実だと思います。
一方で、健康な高齢者の中にも、必ずしも明らかな運動習慣がないという方も多いと思います。では、運動することの意味とは何なのでしょうか。人も含め、動物はじっとしていることを強いられると、肉体的にも精神的にも文字どおり崩壊します。
つまり運動は本来、生理的に欲するものなのでしょう。運動習慣がなくても肉体も精神も崩壊することなく健康な人も多くいるという事実からは、運動を体操や筋力トレーニングといった明らかなものだけではなく、別の観点からも捉えてみる必要がありそうです。
「自分の人生をコントロールしていると感じられる人は健康で幸せだ」とする研究(D.H.Shapiro Jr:1996)があります。人生をコントールする、その中身は様々あると思います。運動もその一つでしょうが、衣食住はもちろん金銭や地域の活動など、普段の身の回りの管理がまさに人生をコントロールしている大切な要素です。
病気をする、介護が必要になるとは、それらが自分のコントロールから、他者のコントロール下に置かれるという変化に直面することです。運動も大切ですが、身の回りの管理を少しでも継続する、あるいは取り戻す生活が、健康な生活を作る土台となっています。
人生のコントロールと言えば大袈裟でも、身の回りの管理と考えるとすぐにでも始められます。そして、身の回りの管理をしていることに、常に心と体の動きは伴います。それは小さくても、健康を維持するための大切な運動習慣と見ることができます。
参考文献:D.H. Shapiro Jr、Controlling Ourselves, Controlling Our Word : Psychology’s Role in Understanding Positive and Negative Consequences of Seeking and Gaining Control, American Psychologist 51, no.12 (1996)