台風や大雨などの自然災害に襲われる不安は、毎年のことだからといって小さくなるものではないと思います。一時期とはいえ、天気予報の変化に一喜一憂しながら過ごす時間は緊張が絶えません。予測がつかない事態に人は、不安や緊張へと簡単におとし入れられるのでしょう。
朝、仕事や学校へと送り出した家族が元気に帰ってくるだろうか。こんな身近で些細なことであっても、自分のコントロールが及ばない現実に対しては、不安や緊張に身をゆだねるしかないのです。
自然災害は言わずもがな、未来は不確実なものだからこそ私たちは日々ちょっと先の未来を見据えて計画を立て、準備をし、規則正しい生活を送ることで安心を担保しているのだと思います。特に高齢者は、豊富な人生経験や安定した生活習慣によって、予測困難な様々な事態にも落ち着いて対応する力を本来持っておられる方が多いはずです。
しかし、人生経験や生活習慣という先々を見据える力を発揮できない場面が訪れてしまうことがあります。
それが介護を必要とする事態です。介護されるとは、他者から触られる、動かされる事態とも言い換えることができます。
他者の手がいつ、どのタイミングで、どのくらいの力で自分の体に侵入し、どのような操作が加えられるのか。他者の意図は予測困難です、要介護度が高くなるに従い、体の緊張も増してしまう(拘縮と呼ばれる体の硬さが進行する)のは、介護される側には、他者から触られる、動かされることによって常に不安や緊張を強いられる役割を負わされるからです。
つまり予測できない事態が不安や緊張を生み、引いては余計な体の硬さを作ってしまいます。
では、確実に予測可能な未来があるとすればどんなに安心できるでしょう。それが一つだけあります、「自分から動く」ことです。自分から動くことだけは、予測したくなくても予測できてしまいます。他者から体をくすぐられる、あるいはその手が接近するだけでも、身をよじるほどのこそばゆい感覚ですが、自分で自分の体をくすぐっても面白くも何ともありません。
自分の動きはいつ、どのタイミングで、どのくらいの力で、その全てが予測できてしまうからです。
介護を必要とする方を不安にさせない、なるべく緊張させない、そして介護によって体が硬くなってしまうという残念な事態を避けるためには、本人が未来を予測できることが大切です。
予測できないからこそ未来に不安を感じます、そうであれば、わずかでも自ら動き出すことをもって未来を自分で作ってしまえば良いのです。