病院(施設)で職員と患者(利用者)さんとの間に小さなトラブルが起きることが稀にあります。その一つが、ある動作に対する自立か見守りかの判断です。車椅子の患者さんが急に、いえ、本人にしてみたら急にではないのですが、立ちあがろうとしているような場面です。
職員は患者さんが転倒しないようにと慌てて駆け寄り、「どうされましたか?動くときには職員を呼んで下さいね」と声をかけます。しかし、本人にしてみれば、自分は立ち上がれると思って立ち上がっている、というか、何か気になるものが見えたなど、目的が先にあって気がついたら立ち上がろうとしていたのであり、危険を冒して行ったというつもりはありません。
この認識の違いがトラブルのもととなるのです。車椅子の高齢者が立ち上がろうとしている、なんだかふらふらとしておぼつかなく見える。それは本人を信用していないからそう見えてしまっている可能性があります。本人にしてみたら、好きなようにさせてもらえない、監視されているような煩わしさがストレスになってイライラしてしまうのも理解できます。もちろん、職員は患者さんの安全を守る責任がありますから、このようなトラブルは悩ましいものがあります。
立ち上がった患者さんが転倒するかどうか、はっきり言ってそれは誰にも分かりません。しかし、一つだけ確実に言えるのは、やろうとしている先にはそれができている姿まで本人はイメージしているということです。
例えば、水たまりを飛び越えようとする人は、飛び越えた自分をイメージできているでしょうし、飛び越えずに自重する人は、飛び越えた自分をイメージできなかったと判断できます。したがって、何かやろうとし始めている人を見たときには、少なくとも本人はできると思ってやっていることだけは認めて差し上げるべきです。
それが小さなトラブルを回避するための大切な手段になります。筋力がどうした、バランスがどうしたと理詰めで本人を説得してもさほど効果はありません。何かやろうと意図した時には、体はすでに動き始めているのですから。
車椅子から立ち上がろうとする高齢者がいます、その時の“危ない!”は本人を守る“危ない”なのか、転ばれたら困るという自分を守る“危ない”なのか、それは大きな違いです。もし、前者であるのならば、介護者はそっと見守る勇気をもつ必要があります。やろうとしていることはできることという根拠が、見守るという、実は難しい介護を後押ししてくれるはずです。