とある勉強会でのこと、グループホームで暮らす一人の認知症高齢者の起床時に、4名の職員がそれぞれどのような介助をしているか撮影をした施設がありました。このような取り組みは画期的なことです。なぜなら、介助を受ける利用者の“からだ”は一つですから、Aという介助者とBという介助者の介助方法を普段は同時に比べることはできません。
したがって、介助者はその人に対する自分の介助が良いのか悪いのか検証しようがないのです。しかし、別日とはいえ朝の起床という同じ場面と同じ時間、そこに映し出された利用者は、えっ別人ですか?と疑ってしまうくらいの違いがありました。
1人目の介助者は、背中を支える介助でベッドから起き上がり、その後、利用者の両脇を抱える介助で車椅子に移乗しています。2人目は利用者を抱きかかえるように起き上がり、そのまま抱えあげる形で車椅子に移乗しています。3人目は軽く体を支える程度の介助で起き上がり、移乗しています。4人目は起き上がりも移乗も見守っているだけです。
同じ利用者なのにもかかわらず、映像には中程度の介助が必要な人、重度の介助が必要な人、軽介助が必要な人、見守りで良い人、4人の別の能力をもつ利用者が存在していました。映像の中の職員は、それぞれ真面目に仕事をしています。したがって、一つひとつの映像を単体で見れば、とても丁寧で何の問題もない介護場面です。
驚きの真実、それは介助者が利用者の能力に見合った介助を行っているのではなく、利用者のほうが介助者の能力につき合ってくれていたという事実です。つまり、重介助も軽介助も見守りも、介助者によって作られる危険性があるということです。
朝の起床を見守りのみで行っていた介助者は、「いつもこんな感じでやっています」とさらりと言っておられました。そして映像はやはり、利用者に対して“できますよね”という態度、信用する姿勢が職員の姿から感じられるのです。
この貴重な勉強会から得られる大切な教訓があります。介護が必要な人に対して、介助にかかわらせていただく者が、その人をどう見ているか、どういう態度でいるか、それが大切だということです。リハビリや介護は、ともすれば技術で利用者を変えようとする、あるいは変えられると考えてしまいがちです。
しかし、それ以前に大切なのは本人がもつ心身機能や生活能力を見誤らないよう、まず、変わるべきなのは利用者に対する私たち介護者の態度、本人を信用する姿勢です。