信彦さんは老人施設で入居されている80代後半の方です。要介護2の判定はありますが、寝起きや食事は自立され、トイレも見守り程度、少しの介助があれば歩行も可能でした。陽気な性格で他の入居者や職員からも慕われ、この施設で安定した暮らしを送られているように職員の目には映っていました。
そんなある日、新型コロナウイルスが信彦さんに襲いかかります。高熱が続きベッド上での生活が数週間にも及びました。幸い生命の危機には至らなかったものの、熱でうなされた体は全身ガチガチに固まってしまい、歩行やトイレはもちろん、一人で行えていたベッドからの寝起きも全て介助が必要になりました。
高齢者の生活は、新型コロナウイルス感染に限らず、ほんの数週間で生活が一変することがあります。安定と動揺が常に表裏で存在していると思わされます。
そんな信彦さんに私がお会いしたのは、それから約4ヶ月後くらいでした。他の用事でその施設にお邪魔した際に、ご縁をいただき少しだけ関わりを持つことができました。
信彦さんからは「こんな体になってしまったが、なんとかしたい」、「寝てばかりではおられん」、「2分くらいなら立っていられる(実際は立てません)」。「街にも行かれないし、どうしたら良いのか」などなどあふれる思いが聞かれました。
しかし、そのどれもが前向きな言葉です。
少し介助させていただくと、自分で起き上がろうとする意思を感じますし、なんとか倒れないように座ろうとする努力が伝わります、そして車椅子へ手が伸びます。私は「それで良いですよ」、「うまくやれてますよ」とお返しします。
確かに介助の量で言えば“全介助”です。しかし信彦さん目線で見ると、本人がやっているほんのわずかなことには何の間違いもありません。ほんのわずかですが自分の力を使って車椅子に乗り移られた信彦さんの顔は、ひいき目かもしれませんが晴れ晴れとしていました。
直後、信彦さんから語られた言葉に、私を含めそこにいた一同が涙しました。
「認めてもらいたいんです」、「病人なんてそんなもんなんです」
介護が必要になった方に対して、私たちは何を認めて差し上げられるでしょうか。そしてこれまで何を認めてこれたでしょうか。涙は、きっとそれぞれの心に信彦さんの言葉が突き刺さった証拠だったのでしょう。
「認めてもらいたいんです」。穏やかな信彦さんの言葉が今もそのままの音で、私の耳の奥でリフレインします。