ヒロシさん(仮名)は呼吸器に疾患のある80代の男性で、要介護5の認定を受けて施設で生活されていました。日常生活全般に介助を必要としていましたが、一つの動作でも自分でできる部分と、介助が必要な部分をしっかりと認識されています。
お会いした際に、できることまで介助してしまう職員がいるのだと、施設の管理者に対して不満を口にしている様子が印象的でした。
そんなヒロシさんですが1ヶ月後に再会すると、病状は悪化し起きて過ごされる時間はほとんどなくなり、ベッドに横になったまま介助で食事をされ、トイレもオムツでの対応と短期間で生活は大きく変化していました。
職員も日中に起きて過ごすのはもう難しいかも知れないと考えているようでした。
本当に、もう座って過ごされるのは難しいのか、調子の良い頃合いを見て介助で起きていただき、ベッドに腰掛け、可能なら車椅子に座っていただこうということになりました。いつも介助する職員が、ゆっくりとヒロシさんの体を横に向けると、ヒロシさんの手はベッドの手すりに伸びて行きます。
できるところを介助されたくないのは職員も承知していますからヒロシさんの動きを待ちます。ヒロシさんが手すりを掴んだところで、起き上がる介助を開始すると、手すりを掴んだヒロシさん手にギュッと力が入るのがわかりました。起き上がる介助に合わせてヒロシさんの手は掴む手すりの位置を移動させています。
おそらく介助の量で言えば全介助の部類になるのだと思います。しかし、ヒロシさんの様子、手の動きからはこの後、以前のように自分の力でベッドに腰かけていそうなイメージが湧いてくるのでした。
「自分で座っていられそうですか?」と職員が尋ねると、「うん」とヒロシさんは頷き、数秒間ですが座って辺りを見回すことができました。
「今日は少し自分でできましたね」と職員が声をかけると、ヒロシさんは「7割くらいだな」と少し頬を緩められました。
私たちからすれば“全介助”の動作であっても、本人が少しでもやったと実感できれば、本人にとっては7割の自分の動作になるのです。
介助を必要とする生活であっても自分の動作は自分のもの。ヒロシさんは、そのプライドまでは失っていなかったのだと思います。全介助という言葉で簡単に覆い隠されてしまいそうな小さな動き、それは本人のプライドです。
そのプライドまで奪わないように介助しなければなりません。