認知症の家族とともに歩む
こんにちは。三橋良博(みつはしよしひろ)と申します。
妻は、52歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断され、現在71歳で介護が必要な状態です。
また、妻が若年性アルツハイマー型認知症と診断された同時期に96歳の脳血管性認知症の父、89歳のアルツハイマー型認知症の母の介護もしており在宅で看取りました。仕事をしながら、3人の介護をした時期もありました。
この連載は、そんな私の日々のことや思いをお伝えすることで、認知症の家族と暮らす介護家族の気持ちを知るきっかけになればと思い、お引き受けさせていただきました。
絶望も希望も
ここから先は、妻との生活を書いていきます。
認知症というと、「何もわからなくなって人に迷惑をかける」「絶対になりたくない病気」と思う方が多いのではないでしょうか。なりたくない病気では、がんを抑えて、認知症が第1位になりました。
認知症と診断されたら一番辛いのは本人ですが、家族もまた悩みます。
介護をする家族は苦しみと迷いを持ちます。辛くて悲しいこともあります。
でもそんなことばかりではないんです。明るく、楽しいこともあります。励まされ、期待と希望も持てます。介護をしているなかで喜びもあります。
私の介護体験からそのようなことを感じていただければ嬉しいです。
病気の始まり
妻は、52歳の時に若年性アルツハイマー型認知症と診断されましたが、その8年前からうつ病で苦しみました。もう27年間、病気と向き合っています。
44歳の時、妻が急に息を荒くして横になりました。体がこわばりうなっていました。
「救急車を呼んで・・・」
最初は冗談かと思いました。私も妻も健康で、これまで救急車を呼んだことはありませんでした。
「大丈夫だよ」
と声をかけ、様子を見ようと思いました。
苦しそうな表情で、「救急車・・・」と妻がつぶやきます。
これはただ事じゃない。
「本当か? 本当か!」
と私は妻に聞き返すと、コクコクとうなずいているので、119番に電話をかけました。すぐに救急車が来て救急病院へ運ばれました。
症状は、病院の待合室に座っている間に落ち着き、診察を受ける時には普段の状態に戻っていました。
医師からは、「自律神経失調症でしょう。様子を見ましょう」と言われ、その日はそのまま帰りました。
ここから、正体不明の病気の始まりです。
その後は症状が出なかったのですが、あの日突然襲ってきた息苦しさや恐怖が重くのしかかかり気持ちが不安になるようでした。妻は、倒れたとき一瞬「死ぬかもしれない」と思ったようです。
妻の急変からしばらくして、新聞の折り込み情報紙を読んでいると、ふと「パニック障害」の記事が目に留まりました。
当時は、まだあまり知られていない病気でした。読んでみると妻の症状とよく似ていました。
その筆者は、家からそう遠くない心療内科の先生。妻に記事を見せ、早速次の日、受診に行きました。
診断はやはり、パニック障害。
先生からは、「薬を飲めば大丈夫です。」と言われ通院が始まりました。
日々の変化
妻は、薬はきちんと飲み続けているけど、なぜか体調が優れない。
頭痛、だるさが強く、体が重いとふさぎ込んでいることが多かったです。
妻は1人で通院していましたが、忙しい病院で予約しても待たされることが多く、診察はなく、薬をもらうだけだったようです。
一緒に受診に行き話を聞こうとしましたが、不思議なことにそのクリニックは家族同伴がだめだったのです。代わりに聞きたいことや伝えたいことを書いた手紙をくださいと言われました。
結構評判の良い病院なんですけどね。
服薬から、パニック症状は出なくなりましたが、薬の影響か飲み始めてすぐ生理が止まりました。
年齢も48歳ということもあって、更年期の症状か閉経だと本人は思っていたそうです。
私も妻も、時期が過ぎれば体調も良くなるだろうと、その頃は気楽に考えていました。