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妻の変化と新たな病

妻の変化と新たな病

心療内科から処方された薬を服薬してしばらく経っても、妻の体調は、あまり良くありませんでした。気が滅入っていることが多く、以前のような元気がありません。

物忘れも多くなり、買い物に行っても同じものばかり買ってきます。
買うのは毎回、インスタントコーヒーとコーンスープ。豆腐と納豆。押し入れには、トイレットペーパーと玄関マットがいっぱい。

パニック障害、更年期障害にしては変だと思い、再度受診の予約をして一緒に病院へ行くことにしました。
先生から説明を受け、初めて妻は自身の診断が「うつ病」だと聞きくことになりました。それに、ずいぶん前から、うつ病の薬を出しているとのこと。
これまで「うつ病」という説明が全然なかったので驚きでした。

 

一日28錠の薬とその負荷

この頃から、処方された薬の詳細や、起こっている症状を私のほうで書き留めるようにしました。妻は、50歳くらいの頃から料理ができなくなり、3食とも私が作っていました。
体調は悪くなる一方です。

「気持ちが悪い」「体が重い」「手足に重りを付けられているみたい」と訴えます。食欲もなくなり、2か月で体重が10kg減ってしまいました。

この頃、病院からは一日28錠の薬が処方されていました。
抗精神病薬・睡眠剤15錠、高血圧薬4錠、胃腸薬・吐き気止め9錠。
この頃は、多剤大量処方が普通に行われていました。
このまま大量の薬を飲み続けると体に負荷がかかり大変なことになると思い、病院に手紙を書き、再び付き添って診察を受けました。

妻が、「先生、ここのところ気持ちが悪く、食べることもできません。体も動かず寝ていることが多いです。薬の副作用ではないですか?」と聞きました、すると医師は、「あなたは私の処方が信じられないのですか!」と妻に言い放ちました。

そして、僕のほうを向き、「ご主人、このひとは薬の処方に疑問があるようですがどう思いますか?」と言いました。
この先生は、大学で薬学を教えていて薬に対してはとても自信がある先生でした。

 

私たちと向き合ってくれる医師を探して

私はこのとき、この医者はだめだと思いました。それは、妻の薬に対しての疑問に声を荒げたからではありません。
妻に対して「あなた」と言ったのです。そして、僕に「このひと」と言ったからです。

私たちは病院にかかるとき、医者からの説明を受け、納得して信頼し病気を治すために医師と患者が向き合います。
妻は芳枝(よしえ)と言います。「三橋さん」「芳枝さん」と呼ぶことをしなかったからです。

この出来事以降、妻は先生に会う事に対して、恐怖心や不信感を抱くようになったので病院を変えることにしました。
改めて、2か所の心療内科へ行きましたが、どこへ行っても、うつ病と更年期障害の診断。一向に良くなりません。

ネットで検索をして、必死に病院を探しました。
横浜駅の近くに評判の良い病院があると載っていたので電話をかけました。診察をしていただけるとの返事でした。ただ、11月に電話をしたのですが、初診は予約がいっぱいなので翌年2月と言われました。
もう、ここしかないと思い待つことにしました。

 

私の妻はアルツハイマー?

ようやく3か月が経ち、妻と一緒に病院へ行きました。
評判通りの良い病院で、初診に2時間かけてくれました。先生にこれまでの症状の変化をお話しました。

その後、妻にどこの出身か、子供の頃はどのような遊びをしたのか、横浜に来ての生活は?趣味は?楽しいことは?など、ゆっくりと話を聞いてくれました。妻は先生とすっかり打ち解けて話が弾んでいました。

服薬している薬の調整をしながら、週に一度通院をすることになりました。
2回目の診察は、薬の調整から体調の変化の確認です。
3回目、この病院の先生は診察が終った後、僕と2人の時間をつくって説明と相談に乗ってくれます。

前から不安に思っていたことを聞いてみました。
「あまり、うつ症状はなく、気持ちが悪くて寝ているのが今の症状です。ただ、物忘れが多すぎます。いつも使っている食器や服の場所がわからず捜しものばかりしています。本当にうつ病なんでしょうか?」
そうすると、先生が妻のカルテの一番最初のページを見せてくれました。
メモ書きで「アルツハイマー?」と書かれていました。
「実は、私は初めからアルツハイマー病を疑っているんです。一度、MRIを撮ってみましょう」

 

やっと、結びついた希望の光

その後、私と妻は紹介状を持って脳神経外科病院を受診しました。
検査後、画像を見ながら「特に異常は見当たりませんでした」と診断されてフィルムを預かりました。

そして、4回目の診察です。
脳神経外科病院から預かった手紙とフィルムを渡しました。
先生は手紙と写真をずっと見てからこう言いました。

「脳神経科では異常がないと診断されました。でも私はどうも納得がいかないんです。
私は専門でないので、一度専門医に見てもらったらどうですか?」
「お願いします」と私は二つ返事で返しました。

先生は、その場で大学病院の精神科へ電話をかけてくれました。
1回ではつかまらず、3回掛け直してようやく先生につながり、直接話をしていただきました。
早速、診察を受けることが決まり、紹介状を渡されました。

これまで8年間、パニック障害、うつ病、更年期障害の治療をして一向によくならずに苦しみましたが、
この先生は、4回目の診察でアルツハイマー病を疑い、専門医に結び付けてくれたのです。

三橋 良博 さん

認知症の家族と暮らし、現在も71歳の奥様の介護をしている三橋良博さん。奥様が52歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断され約19年。夫婦二人三脚で歩んできた軌跡を紹介します。