体の調子が悪く病院に行くと、問診をしてもらい、症状に応じた検査を行うことになります。それは、悪いところを探し出し、医師が治療内容を決めるために必要な診療過程です。
介護を行うときにも、つい、この診療になぞらえて“できないところ”“介助が必要な部分”はどこにあるか?という目で本人を見てしまいがちです。これでは介護も“できないところをできるように支援する”、“できないところを介助して差し上げる”というように、するのは介護者であり、してもらうのは本人という、本人にとって受け身の状況を生じさせてしまいます。
つまり本人の自立には向かい難いということです。
そこで介護では本人のできるところを見つける、できるところを伸ばすという視点でかかわるのが大切とされています。つまり、自立支援を求められるのが今の介護の世界です。しかし、実際は自立の方向に進んだという実感は少ない介護者も多いのではないかと思います。
もしかすると“本人のできるところを見つける”だけでは足りのないのかも知れません。それは、“本人のできるところを見つける”という視点では“できない”が前提にあり、できる部分の価値は小さく見積もられてしまっているように思うからです。
むしろ、まずは“できる”という目で見るべきなのではないでしょうか。
このブログでも何度かふれていますが、日常生活動作は体で覚えているという意味で記憶の一つです。その記憶はそう簡単に失われないという特徴があります。体が不自由になり介助を必要としたとしても、そのやり方のような大枠のイメージまでは失われません。
したがって“できるところ”という一部で捉え、そこだけやってもらうのではなく、“できる”が前提にあって“できるところ”はその先につながっていると見れば、それを期待して介助方法も自然と変化します。
介護は方法が先にあるのではなく、本人の記憶の一部として表れるわずかな動きに対して、その先を共感して導いて差し上げるものだと思います。本人が経験してきた生活動作と、介護者のそれとに大きな違いはありませんから、本人の動きに共感するのはそれほど難しくはないはずです。
介護を必要とする人の動きに対して、専門、技術などという特別な目で見てはいけません。