岡山さん(仮名)は、長く地元で建設業を営まれ、地域の役員なども歴任されてきた名士です。当時、脳梗塞後の後遺症により、すでに施設で生活されていました。
要介護度は5であり生活動作のほとんどに介助を要する状況ではありましたが、奥様の気遣いもあり毎日素敵な私服をビシッと着こなし、お部屋にお邪魔すると言葉ではなくその表情から「よくきたな」と、やさしく出迎えてくれたものでした。
その雰囲気たるや、まさしく社長そのものでした。障害や介助量という表層によって、つい私たちは見誤りがちな中、その人自身は損なわれることなく、本質は何も変わらずその人の中にあると教えられたものです。
さて、岡山さんは当時、寝返り一つ打つこと、ましてやベッドから一人で起き上がることもままならない生活でした。わずかであっても、岡山さんの動きを最大限尊重して職員が日々介助することで、少しずつですがご自身の力を発揮される場面も増えてはきましたが、介助の度ごとに岡山さんは涙を流されていました。
私たちは単純に、うまく動けなくて情けないと感じられているのだろうと考えていましたが、その涙の意味するところは、その先数年後に分かる(想像ですが)ことになります。
施設での生活は2年、3年と変わらず岡山さんの力をお借りした介助によって日々営まれます。座位を保てる日も増え、トイレでの排泄と生活に変化が見られ始めました。岡山さんは変わらず、時おり涙は見られましたが社長の顔はそのままです。
介助は必要ですが、ご自身の下肢で踏ん張って立っていられる時間が長くなりましたので、「少し歩いてみませんか?」とお誘いしてみた日がありました。
岡山さんは意外にもあっさりと、しかし、しっかりと頷かれます。何度かそのような機会があり、たまたま奥様が見えられている際に、奥様にも歩いている姿をお見せしたらどうですか?ということで、いつもより少し距離はありましたが、居室の外の廊下で待たれている奥様のもとまで介助で歩くことになりました。
奥様の前まで歩かれた岡山さんに対して、そこに居た一同の拍手と涙は忘れられません。
その後、ベッドに戻られた岡山さんに、「今日はどうでしたか?」と尋ねてみたところ、なんと「歩いたってほどのものじゃないよ」と私たちの興奮を覚ましてくれるほどのそっけない答えが返ってきました。でもきっと、岡山さんにとってのその日の歩行は、数年前から本人のイメージの中にはいつもあったのではないでしょうか。
それが果たされない、果たしてくれない私たちに対するあの当時の涙だったのではないかと振り返りました。“本人の能力を見誤るなよ”岡山さんは身をもって、それを教えてくれたのだと思います。
*このエピソード映像は大堀具視編 DVD版「動き出しは本人からの介護実践」(中央法規出版)に収められています。