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予期せぬ外出

入院して3週目に入った頃、妻の茨城にある実家から突然電話がありました。

 

お義母さんの具合が急に悪くなり、朝4時に入院をしたとのこと。

4か月前に不調を感じて受診した際に肺がんと診断されていたそうです。

91歳で高齢のため、苦しい治療はせずに家族で見守ろうということで自宅療養をしていました。

 

妻が入院する病院へ緊急事態の連絡をして、外出許可をもらい実家へ向かいました。

茨城に向かっている途中で携帯が鳴り、お義母さんが亡くなったと連絡が入りました。

 

妻は何が起こっているのかわからない様子でした。

すぐに帰れば、最期に立ち会えたのに。

 

「お義母さんを見たらショックだろう」「また興奮してしまうのではないか」など

片道4時間かけて車を飛ばしながら、頭の中をいろいろ思いが駆け巡りました。

 

いっぽう、妻は横で嬉しそうにしていました。

病院から出られたこと、大好きなドライブ。

何より僕と一緒に居られることを喜んでいました。

 

実母との別れに妻は

実家に着いてお義母さんと対面したとき、妻は涙ぐんでいました。

でも、思ったほど取り乱さない。

 

5年前にお義父さんが亡くなったときは、泊まり込みで三日三晩寝ずに看病をして、

看取ったときは大泣きして抱きついていたのに。

今回も精神的に参って、取り乱すんじゃないかと心配してました。

 

でも、すぐに落ち着きを取り戻し、感情が乱れることはありませんでした。

もしかして、妻は実母が亡くなったことが事実だと感じていないのではないかと思いました。

 

翌日、葬儀の支度があるので妻と病院に戻り外泊延長と、薬をもらってきました。

 

家に帰り準備をして、午後、再び茨城に向かいました。

お通夜、告別式、火葬と進んでいきます。

妻も喪服に着替え、遺族として列席です。

自宅での法要ですので、親戚、近所の方も参列しました。

妻は、久しぶりにあった人には懐かしそうに笑顔で話します。

出棺、火葬場では魂が抜けたように立っているか、別の部屋で横になっていました。

母の死と言うあまりにも突然のことと、多くの儀式があり、何が起こっているのかわからず、混乱して心の持ちどころがないようでした。

僕は、ずっと手を握り、肩を抱いていました。

 

アルツハイマー型若年性認知症と診断されて、まだ四ヶ月です。

妻には、3人の兄がいます。4人兄弟の末っ子の一人娘です。

兄たちにはとても可愛がられていました。

うつ病の頃から体調の変化をすごく心配してくれていました。

帰った時に兄弟には伝えました。

52歳の妹が認知症になったということが理解できず、驚いていました。

「治らないのか!」「これからどうなる?」「お前がさせてしまったのではないか?」「いい薬があるので今度送る。」「もっと頭を使わせろ。」

色々話は出ましたが、最後は皆黙ってしまい、悲しみを倍にさせてしまいました。

親戚には言っていませんので、皆さん、落ち込んでいる様子は、母親を亡くした悲しみから、打ちひしがれているのだろうと思っていたようです。

 

滞りなくお通夜と告別式を終え、次の日、妻の実家を後にしました。

外出期間は、葬儀を含め4泊5日でした。

その間、3食ともほとんど口にしませんでした。

 

三橋 良博 さん

認知症の家族と暮らし、現在も71歳の奥様の介護をしている三橋良博さん。奥様が52歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断され約19年。夫婦二人三脚で歩んできた軌跡を紹介します。