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健達ねっと>マガジン>羅針盤>三橋良博>再び始まるつらい日々

再び始まるつらい日々

病院に戻る日、妻は昼過ぎまで寝ていました。

午後になってようやく起きましたが、連日ばたばたして疲れたのでしょう。

お腹が空いているだろうと食事を用意しましたが、妻は何も食べません。

 

「もう、絶対に病院へ行きたくない」

そればっかり。

 

「まだ治療の途中なんだから、食べられるようになったらすぐ出られるから」

そう言って説得しても聞こうとしませんでした。

 

夕方、18時に一緒に病院に戻りました。

病棟のロビーで、戻ってきたことを伝えると、担当の先生と看護師さんも出てきてくれました。

先生は泣きはらした妻の顔を見て「お母さんがなくなって、つらかったんですね」と言いました。

 

でも、本人は母が亡くなったことではなく、また始まる入院生活のつらさを考えて泣いているんです。

「もう入院したくない」と言って、僕の手を握り離さない。

 

看護師さんから「家にひとりでいても、寂しいでしょ。ここにいれば気がまぎれますよ。ちゃんとご飯を食べて元気を取り戻せば、すぐに退院だから」と励ましてもらうが、泣いたままでした。

 

僕も「大丈夫だから、また来るから。寂しかったらいつ電話をかけてきてもいいから」

そんなことを言っているうちに、涙が出てきてしまいました。

先生と看護師さんを前にして、ふたりで泣いてしまいました。

 

妻の決意

しばらくして妻が落ち着きを取り戻したので、一緒に病室まで行きました。

すれ違った患者さんから、「お帰りなさい」「大変だったね」と声をかけてもらいました。

その人たちの前では、妻は少し微笑んでいました。

 

いつものように、妻に病棟の入り口で見送ってもらい帰りました。

この日は、妻のことを本当にかわいそうに思い、車の中で号泣してしまいました。

 

翌日、妻の様子が気になり、19時に見舞いに行きました。

妻に会う前に看護師さんに様子を聞いてみました。

「どうでしたか」と尋ねると、

「今日は元気でした。3食とも食べられましたよ」と伝えられました。

 

妻はロビーで珍しく他の患者さんと話をしていました。

「どう?」と聞くと「大丈夫。頑張って食べるようにする」と言う妻は顔つきも明るく、

意外な返事に驚いて嬉しくなってしまいました。

 

数日後、見舞いに行くとロビーで他の患者さんたちと話をしている妻が僕に気がついて、こっちに来ました。

いつものように「どう?」と聞くと

「大丈夫、頑張って食べてるよ。○○さんとずっと話をしていて楽しかったよ」と言われました。

表情も明るくなって、目に活気が出てきたような気がしました。

 

あのとき、一緒になって泣いてしまったのが効いたかなと思いつつ、

以前、妻と言い争ったときに情けなくて泣いたことを思い出しました。

次の日から妻の態度が変わったのを覚えています。男の涙は強い!

 

またここから、始めよう

先生と話をして

「このところ食欲が出てきて、少しずつ、前向きになっています。内科の検査も異常がなかったので、2日後に退院にしましょう」と言われました。

 

妻に話したら喜んでいました。

 

退院の日。

病室に行ったら妻はもう支度をして、荷物をまとめていました。

 

先生のところに行き、今後の話を聞きました。

「うつの薬を徐々に減らし、いまは血圧と胃腸薬だけを飲んでいます。奥さんは、周りの人と話をするようになってから元気になっていますが、病気が進行して苦しいことを忘れているということも考えられます」など…。

他にもいろいろと話を聞いたけど、あまり覚えていない。

 

まあ、いいか。

起き上がることもできなかった状態から、これだけ元気になったんだから。

 

39日間。

僕と妻にとっては長い長い入院でした。

 

三橋 良博 さん

認知症の家族と暮らし、現在も71歳の奥様の介護をしている三橋良博さん。奥様が52歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断され約19年。夫婦二人三脚で歩んできた軌跡を紹介します。