ワンポイントコミュニケーション その14
在宅にしても、施設にしても一人の方にかかわる介護者はある程度限られます。それは毎日のちょっとした体調面の変化に気づきやすいという点では良いことだと思います。しかし、少しまとまった動作、例えばベッドから起き上がる、立ち上がる、歩く、トイレを使用するなどは昨日できないことが今日できるようになっているというほどの変化は無い場合がほとんどです。
したがって、この方は〇〇の動作は自分でできる人、〇〇の動作は自分ではできない人というような固定観念を無意識に持ってしまいやすいようです。
同じように本人も、自分は一人では起き上がれない、一人では立ち上がれない、一人では歩けないなど、すでに介護を必要としている動作については、自分ではできないことにしてしまう傾向があります。つまり本人、介護者双方に決めつけが生じてしまうのです。
これでは、どんなに良い介護や、リハビリをしていたとしても生活が改善する可能性は少なくなってしまいます。なぜなら、決めつけてしまうとやってみようかなという本人の挑戦の機会は失いますし、介護者も本人の挑戦に気づけなく、本人の能力を活かした介護にならないからです。
固定観念、決めつけから脱するには、本人は新鮮に自分の体と向き合う必要がありますし、介護者も新鮮な目で本人を見なければなりません。だからこそ「伺う」のです。
「自分で起きられそうですか?」
「自分で立てそうですか」
「自分で歩いてみませんか?」と。
「自分で起きられそうですか?」には、これまでのこと、昨日のことはさて置き今日は、今はどうですか?という(今日は?)(今は?)が隠れています。つまり、新鮮に本人と対峙するコミュニケーションです。
「(今日は)自分で起きられそうですか?」と新鮮な目で見られた本人は、“うん?どうだろうか?”と新鮮に自分の体と向き合い始めます。そこに“ちょっとやってみようかな”という本人の挑戦が現れますし、介護者にはその挑戦を見ようとする、受け止めようとする態度が生じます。
「(今日は)自分で起きられそうですか?」と投げかけたのは介護者なのですから当然です。
赤ちゃんを見るとき、今日は何ができるのだろうと毎日新鮮でワクワクします。高齢者には劇的な変化はないのかもしれません、しかし新鮮な目で見ようとしない限り、本人の挑戦は見えてこないのですから、自立支援など言葉だけのものになってしまいます。
本人の能力を正しく知るためには決めつけの目で見ないことです。そのための「伺う」コミュニケーションです。