デイサービスをご利用されている伸治さん(仮名)は、いつも穏やかで、静かに時間を過ごされています。他の利用者や職員が話しかけると、話題に応じて伸治さんの自宅での生活やエピソードを時にユーモラスにお話してくれます。しかし、伸治さんから誰かに話題を持ちかけてお話しすることはありません。
伸治さんが自ら話をされるのは「ここは何ていうところ?(デイサービスの名前)」、「いつ帰れるの?」というのがほとんどでした。その度に職員や他の利用者さんは、丁寧に「〇〇というところですよ。」「○○時になったら皆さんで帰りますよ。」など、伸治さんの利用日にお決まりのやり取りが見られます。
伸治さんは「あ、そう」と言って毎回納得してくださり、何度も尋ねてくることはありません。自分が今どこに居て、ちょっと先の未来(何時に帰る)が分かるから安心できる。そんな当たり前を教えられる場面です。
穏やかな伸治さんですが、たまに、落ち着かなく立ち上がったり、自分の上着や荷物を探したりすることがあります。「どうしました?」と問いかけると「いや、何でもない」とまた席に座っていただけます。
ある時、何度も席から立ち上がっておられたため、「まだ帰る時間ではないですよ」と余計なことを私が言ってしまったのですが、伸治さんは少し苛立った表情で「腰が痛いんだ!」と返答されました。それまで腰が痛むというのは聞いたことはありませんから、本当に余計なことを言ってしまったのだと反省した瞬間でした。
つまり、伸治さんは落ち着かない自分の姿に対して、私をはじめ職員に気を遣われたくなかったのではないかと思います。
「ここは何ていうところ?」と尋ねられ、一度で納得されるのも、そのような気遣いが背景にあるのでしょう。記憶の容量が多い、少ないと認知機能の側面から人を測ることはいくらでもできます。しかし、言葉や行動に表れる一人の大人としての振る舞いには、その方の他者への思いやりやプライド、人となりを感じることができます。
着せられた診断名や症状という布を剥がして、素のままの伸治さんを見なければなりません。しかし、特に専門職にとってそれがいかに難しいかと考えさせられます。