できない自分には戻れない
自転車の乗り方や楽器の演奏などは手続き記憶といって体で覚えた記憶です。自転車に乗れるようになると、その後何年も乗る機会がなかったとしても、いざ乗ろうとすればまず間違いなく乗れます。それくらい体で覚えた記憶は失いにくいという特徴があります。
体で覚えた記憶のもっとも身近な例は、食べる、着替える、トイレで用を足すなどの日常生活動作です。これらも自転車に乗るのと同じように、一度しっかりとできるようになればそう簡単には失いません。
自転車が良い例ですが、乗れるようになる直前まではものすごく難しく、他者のサポートを必要としていたはずなのに、一瞬「スイー」と乗れた感覚を味わった瞬間、その直後からはもう自転車に乗れない自分には戻れないのです。
さて、日常生活動作も体で覚えた記憶ですから、今、介護を必要としている高齢者に対して何らかの動作を介助するときに、できない人に戻るわけではないということを基本に、介助の方法や声かけの仕方を考える必要があります。
何年も自転車に乗っていない人が、自転車に乗ろうとするときに、さて、手順はどうだったかしら?と考える人はいないと思います。とりあえずハンドリを握りサドルにまたがってみると、勝手に体が反応し出すはずです。つまり、まずは自分で何か始める、要はきっかけが大事です。
では、高齢者の介助もいちいち手順を伝えたり、手順どおり介助するのではなく、まずは本人に何か始めてもらうということを大事にする、本人から始めてもらえるような声かけを工夫してみてはどうでしょうか。
自転車に一度乗れるようになると、どんなに下手にやろうとしても乗れてしまいます。しかし、自転車に乗れる人に対して、ハンドル操作を介助したり、サドルを持ってバランスを介助したりするとどうなるでしょうか?邪魔なんです。そして、むしろ危険なんです。
介護を必要とする高齢者の動作を支援するはずの介助の手は、時に邪魔にもなるということを前提にかかわる必要もあるように思います。一度でもしっかりとできるようになれば、できない人には戻れないのは日常生活動も同じなのですから。