新潟大学脳研究所 生命科学リソース研究センター / バイオリソース研究部門 教授
新潟大学脳研究所では、臨床の場で認知症の方やご家族に役立つ次世代の医療を創出することを目標に、「遺伝子解析」と「バイオマーカー開発」を二本柱として研究を行っています。今回はその研究内容や、今後の認知症に関する研究の目標を池内健様にお伺いしました。
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研究室の目的
編集部:池内様の研究室の目的からお伺いしてもよろしいでしょうか。
池内様:私たちの研究室には2つのミッションがあります。1つは、認知症に関連する遺伝子の研究、もう1つは認知症の診療に役立つバイオマーカーの開発です。この2つの研究は、今後の認知症をとりまく医療に大きく貢献できると考えています。
認知症の方やご家族に如何に役立つか、という視点を常に意識しながら、私たちは研究を進めています。研究の成果が、認知症の医療の現場にすみやかに還元できる状況にあることが、その背景にあります。遺伝子やバイオマーカーの研究成果を認知症の医療に適切に組み入れていく好機と考えています。
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遺伝子の解析
編集部:遺伝子の解析について具体的にどのような研究を行っているのでしょうか。
池内様:3つのトピックスを紹介します。
1つ目は臨床シークエンスです。臨床シークエンスとは、遺伝子を調べて認知症を診断するものです。認知症の中には、遺伝的要因が原因で発症するタイプがあります。原因となっている遺伝子を調べることによって、認知症の診断が確定できることがあります。
全国の医療施設から症例をご紹介をいただき、認知症の臨床シークエンスをAMED(日本医療研究開発機構)の支援により行っています。遺伝子変異の有無についての結果を主治医の先生にお返しし、診療に役立てていただきます。もし遺伝子変異が見つかれば、遺伝性アルツハイマー病や前頭側頭型認知症などを確定診断することができます。
編集部:遺伝子を調べることで認知症が診断できることがあるのですね。他にはどのような研究をしていますか。
池内様:2つ目の研究は、遺伝子を調べることで認知症の病態を解明することです。認知症の病態解明は、培養細胞や遺伝子改変マウスを使ったり様々な研究が行われていますが、私たちの研究室では認知症の方からご提供いただいたサンプルを活用するアプローチを行っています。
大変有難いことに多くの認知症の方からサンプルを提供いただいており、私たちの施設は患者さん由来の認知症研究試料リソースの国内拠点となっています。
編集部:認知症に関連する遺伝子の変化にはどのようなものがありますか。
池内様:私たちのDNAは約30億個の文字により構成されています。その文字の変化が病気の発症に関連することがあります。認知症と関連する遺伝子の変化も、国内外の研究により徐々に明らかにされています。
最近では多くの遺伝子を効率的に調べることが可能になっており、遺伝子解析のスピードが飛躍的に向上しました。最新の技術を用いた解析を行い、日本人の認知症と関係する遺伝子変異を調べています。
編集部:認知症になりにくくする遺伝子もあるのでしょうか。
池内様:認知症になりにくい遺伝子が見つかったというケースもあります。
認知症になりにくい遺伝子がなぜ重要なのかというと、防御的な遺伝子の変化を見つけることで、その遺伝子を標的とした薬の開発が可能になるからです。遺伝子解析から新薬の開発につながった実例として糖尿病のSGLT2阻害薬、高脂血症の抗PCSK9抗体薬などがあります。認知症に関連する遺伝子解析から、新しい抗認知症薬の開発に結びつけたいと考えています。
編集部:他にはどのような研究が進んでいますか。
池内様:3つ目はコンピュータサイエンスを導入した研究です。遺伝子解析は年々大規模化しています。膨大なデータを手作業で解析するのはほぼ不可能になっており、コンピュータサイエンスを専門にしている先生方との共同研究が不可欠になっています。
コンピュータサイエンスを用いた研究のメリットは、研究者の先入観を排除できることです。研究者は過去の経験をもとに、病態の予測をたてて研究を進めることが多いのですが、そうしますと既成概念をこえる発見が難しくなります。先入観を持たずに、すべてのデータを解析した上で、そこから創出される新たな知見が、あっと驚くような発見につながることがあります。
コンピュータサイエンスのもう1つの可能性は、数理モデルを構築することにより将来を予測することです。ビックデータや人工知能などを利用することによって、将来の認知症の発症を予測する方法が開発されてきています。例えば、認知症に関連する複数の遺伝子を調べることによって、その人が将来認知症になる可能性を予測できれば、リスクが高い方に積極的に予防にとりくんでいただくことも考えられると思います。現在、認知症予防に関するエビデンスの構築が進んでいますので、発症予測と予防法の開発はセットで進める必要があります。
バイオマーカーの開発
編集部:バイオマーカーの開発の現状は如何でしょうか
池内様:脳脊髄液バイオマーカーは実際の認知症診療で使われています。しかしながら、バイオマーカー検査の件数は多くなく、多くの方が認知症病型診断に有用なバイオマーカー検査を受けている状況ではありません。
その理由は二つあります。一つ目は、脳脊髄液を採取するための医療手技・腰椎穿刺が主に専門医により行われるため、検査を実施できる施設が限定されることがあげられます。
二つ目の理由は、バイオマーカー検査の必要性と関係しています。脳脊髄液バイオマーカーにより、脳内で生じている病理変化を類推することができます。現在実臨床で使われている抗認知症薬(コリンエステラーゼ阻害剤、メマンチン)を処方する時に、バイオマーカー検査の実施は求められていません。一方で、現在開発が進んでいる疾患修飾薬は、脳内病理変化であるアミロイドβやタウを標的にしているので、これらの薬剤が実用化された際には、バイオマーカー検査を事前に実施することが求められる可能性が高いと思います。
さらに、血液を用いたバイオマーカー開発が最近進んでいます。血液バイオマーカーの性能が徐々に上がっており、実用化に向けた準備が進められています。血液検査が認知症の診断に有用であることが証明されれば、その汎用性から認知症医療への波及効果は大きいものと思われます。
バイオマーカー開発の進歩は著しく、臨床の場で活用する機会が、今後増えていくと予想されます。バイオマーカーの有用性と限界を理解した上で、認知症診療に組み入れていく必要があるでしょう。そのような背景のもと、厚生労働省の研究班により「認知症に関する脳脊髄液・血液バイオマーカーの適正使用指針」が作成されました。私が班長としてとりまとめたものであり、機会があればご一読いただければ幸いです。
今後の課題/現在行っている研究
編集部:今後の課題や最終的な目標などは何かございますか。
池内様:認知症を取り巻く環境は時代とともに変わっており、進歩していると思います。認知症はケアされる対象として従来見られていたのが、現在では認知症の方を中心としたケアにシフトしています。認知症という「病」は変わらなくとも、認知症に対する考えはどんどん変わってきていると実感しています。
高齢化社会を迎え、認知症は誰もがなりうる時代となり、認知症は他人事ではなく、自分の事として受け止められるようになりました。
今のところ認知症を完全に治すことはまだ難しいのですが、治療法の開発が進んでおり、治らない病気ではなくなりつつあります。
このような状況をふまえ、遺伝子の情報やバイオマーカーの所見を参考にして、最も効果が期待できる個々人にあった治療法を選択できるような医療環境を整備することが私たちの最終的な目標です。
健達ねっとをご覧いただいている方へのメッセージ
編集部:最後に健達ねっとのユーザー様に一言お願いします。
池内様:私たちが日々行っている研究は、認知症の方やご家族の協力で成り立っています。この場を借りてお礼申し上げます。よりよい認知症医療を享受できるような成果を、認知症の方やご家族に還元できるように研究を進めていきます。