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健達ねっと>マガジン>羅針盤>和田行男>知らないこと・わからないことが前提

知らないこと・わからないことが前提

「ガンさんの奥さん、きつい人よね。あれじゃ、ガンさん、かわいそう」

ガンさん(仮名)は通所系事業の利用者で、認知症の状態にはないけれど脳血管性疾患の後遺障害で半身マヒがあり、介助なしでは移動できず、言葉も「アーウー」といった状態。
お迎えに行くと、いつも配偶者(以下 おかあちゃん)から「お迎えに来てくれてるんだから、さっさとしなさい」ときつい言葉をかけられ、時には手を出されることもある方です。

ある日スタッフルームで、そんなガンさんご夫妻を見ているスタッフたちが「きつい人よね」という言葉を交わしていましたので、僕の考えを伝えさせてもらいました。

「あんな、家族って、僕らには知り得ない、いろんな事情があるんとちがうやろか。ホントのことを何にも知らない僕らが勝手に家族に対する評価をしたらあかんのとちがう? あなたがたも我が家族の中の事、周りに喋らへんやろ。親しい人にだって話していないことだらけじゃないの」

 

お互い知らないことだらけ

介護事業の利用を申し込むと「事前面接(利用前面接)」と称する「儀式」を受けるのが一般的で、その面接で介護事業所の方から利用される本人のことについて聞き取りがされます。

これについては又の機会に触れることとしますが、利用する側はあらゆることについて聞かれることもなければ伝えることもなく、利用にあたって必要なことだけで良いわけですから「お互いに知らないことだらけで利用開始」となります。

 

先の話で言えば、僕らにとってガンさんとおかあちゃんの関係など全く知らないままお付き合いが始まるってことですし、お二人の関係がどうなのかの真実を知る必要もありません。

僕はガンさんとの関係を通しておかあちゃんを見てきましたが「きつい人」だなんて思ったことはなく「これまでいろいろあったんやろなぁ」って思う程度のこと。というか、人間関係は「いろいろある方が普通」だと思っているので、普通にそう思っただけでのことです。

 

その後、あるときのことです。

ガンさんを自宅に送り届けるために、ガンさんとおかあちゃんの二人を送迎車に乗せて戻る途中、突然おかあちゃんが切り出しました。

「和田さん! 皆さんは、私を酷い女だと思っているんでしょうね」

そう言って泣き崩れたおかあちゃん。

「おかあちゃん、なんや、どないしたんや。よかったら話してよ」

車を停車させ、じっくり向き合うことにしました。

 「結婚して子供ができてからというもの、女はつくるわ、酒浸りになるわ、お金は入れてくれないわ、それでも子供のためにずっとパートで働いて我慢して、いよいよもう別れるって決めたとき、コイツ、倒れやがったのよ」

おかあちゃんの口から出たコイツという呼称に全ての想いが込められていると思いました。

「和田さん、コイツにどれだけひどいことをされてきても、倒れてこの姿になったコイツを残して出ていけないでしょ。私は人間としてできなかったのよ」

 

おかあちゃんに職員たちが話していたことが聞こえていたかのようなタイミングでした。

「おかあちゃん、ありがとう。何があったかわからんけど、よー話してくれたなぁ」

感謝の意を込めて軽くハグさせてもらったあと、車いすに乗っているガンさんのところに行き

「ガンさん、ホンマひどい旦那やったんやなぁ。そんだけひどいことをしてきたのにおかあちゃんにこんなに世話してもろうて、ありがたいなぁ。感謝しかないな」

「おかあちゃん、これからもバンバン叩いてやり。ガンさん、しょうがないわ、自業自得や。受けて立つしかないわ。そうか、ひとりで立つの大変やったなぁ。しょうがないから受けて立つための支援させてもらうわ」

おかあちゃん、ガンさん、僕。三人の車内は、涙と笑いの嵐と化しました。

 

僕は、この話を職員には伝えませんでした。

ガンさんが通所事業の利用を続けるために必要な情報ではないからですが、職員たちからは、それ以降、ガンさんのおかあちゃんに限らず利用者の家族に対して「ひどい」だけじゃなく「よくやっている」も含めて評価する話は聞かなくなりました。

 

現象は真実を映すとは限らない

とかく見た目だけで、一方的に聞いた話だけで家族評価をしがちですが、そもそも「家族」って、自分と自分以外の人間しか存在しない人間同士の関係の中にあって、血縁か婚姻でしか成立しない「特殊な関係」で、それ故に家族以外の人間との関係とは「かなりの違い」を生みがちです。

だから、家族以外の人間関係においては使わない言葉や見せない態度といった自分の姿があり、その姿は「特殊な人間関係の中ならでは」と言っても過言ではなく又、当然のように家族の中だけで収めている話もあることでしょう。

そんな特殊な関係である家族関係に、ほぼ何も真実を知らずにちょこっとだけ関わらしてもらっている僕らが、上っ面を見て・聞いて「きついだ、やさしいだ」なんて家族を評価するなんていうのは間違っており、絶対にしてはいけないことではないでしょうか。

とかく入居系事業だと面会によく来る家族に対し「熱心で優しい家族」という評価をしがちですが、遺産相続目当ての「実績作り」かもしれませんからね。

 

必要なことは憶測ではなく確かめる

僕の仕事は、ガンさんの今の暮らしがおかあちゃんのサポートなしでは成立しない以上、おかあちゃんの心が折れないように状況や状態を見極めていくことで、ある意味キツイおかあちゃんじゃなくなったとき「どうしました、いつもの元気さがないですね」と手を差し伸べることではないかと思っています。

僕にとって、ガンさんとおかあちゃんにあったホントのことなんて「どうでもいいこと」ですが、ただ、家族がホントのことを語ってくれたことで、起こっている本人の言動や家族の言動の意味がわかることもあり、それを知りたいときは僕の方から聞くようにしています。

 

「おとうちゃん(旦那さん)、僕に喋ってくれてないことあるでしょ。今日来てもらったのは、それを聞かせてもらえないかなと思って。もちろん何もなければいいんですがね」

「何故ですか」

「カメさん(仮名 認知症の本人でおとうちゃんの妻)が何でこういうことをされるのかを知りたくて突き詰めて考えた結果、これかもしれないっていうことに行き着いたのでホントのことを聞かせて欲しいんです。知りたいんです。カメさんの言動の理由を。僕の中だけにとどめますから」

「そうでしたか、わかりました。すみません、面接のときには話さなかったのですが実は・・・」

 

花は春を感じさせてくれますね。いよいよ桜前線最北端の稚内まで桜が咲いたそうで、2024年早くも初夏を迎えました。

 

和田 行男 さん

1987年、日本国有鉄道から介護業界へ転身。1999年には、東京都初となる認知症高齢者グループホーム「こもれび」の施設長に就任した。