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健達ねっと>マガジン>羅針盤>和田行男>環境の違いで「生きる姿」が違うのは当たり前

環境の違いで「生きる姿」が違うのは当たり前

人は「環境の影響を受けやすい」と言えるかと思いますが、居宅介護支援事業所で介護支援専門員に従事している知人がかかわった事例を話してくれたので、それについてその視点から考察してみたいと思います。

 

入院で歩けていた人が寝たきりに

自宅で暮らしていたガンさん(仮名)が感染症にり患し1週間入院となりました。

歩行器を使用して自力でトイレに行く事ができていた状態だったのが「寝たきりの人」になって退院してきました。

もともと自宅で介護していくことが難しく、介護事業所への入居を決めていた状態の方だったので、一旦、短期の介護事業所へ入所していただくことにしました。

 

退院時に医療機関から受け取った情報は「全介助」となっていたので確認すると、立つことができない、車いすに座っていることができない、もちろん歩けない、排泄や着替えはベッド上で行っており、本人が出来るのは腰を浮かす程度とのことでした。

ただ、食事はベッド上ではありますが普通食を自力で食べているとのことで、訓練は嫌がってされなかったとのこと。

 

介護事業所での目標は、短期ということもあり「食堂で食事をする」「トイレで排泄する」こととしました。
ガンさんは透析通院も必要だったので、退院時にリクライニング車椅子を用意して、介護事業所から送迎対応していただくことになりました。

 

入院先から介護事業所に到着したガンさんは、ぼんやりした状態でしたが、介護タクシーからストレッチャーで下車し、介護事業所の職員さんたちが抱き抱えてリクライニング車椅子に移ってもらうと、
椅子への身体のおさまりが悪いのか窮屈そうな表情でそれを伝えてくれましたので、職員さんたちが身体を上にしたり下にしたり、少しずつ頭をあげて直角にしたり、おさまり具合を確かめました。

 

「ガンさん、もうちょっと奥に座ってもらっていいですか」

するとガンさん、何と自分でひじ掛けを押して「ひょい」と身体を持ち上げ座り心地を調整されました。

本人は、なんだかそれだけですっきりした表情になり、我に返ったように「あー、おー、○&△‥‥‥」と言って手を振られたんです。

 

もともと言葉は不明瞭なのでこれがふつうなのですが、退院時に聞いていた「ほぼ何もできない状態」とは違っており、それを鵜吞みにしてガンさんに応対させていただいたことを大いに反省しました。

 

介護事業所では、入所当日から一般的な車椅子使用で座位を保つことができたのでベッドから離れて過ごすことができ、食事は食堂で食べることができ、徐々にベッドから離れて居間・食堂で過ごす時間が長くなりました。

介護事業所に入所して一週間、掲げた目標である「歩くこと」「トイレに行って排せつすること」までは取り戻せていませんが、寝たきり状態からここまで回復できたことは介護事業従事者として誇らしい限りです。

 

目的が違うので環境が違い「生きる姿」が違うのは当たり前

知人からきたメールのようなことは良くある話ですが、これで医療機関に不足を感じたり責めたりすることがあったとしたら、お門違いというものです。

 

これは、医療機関と介護事業所では本人を取り巻く環境が違うということであり、その環境には携わる「専門職という人」や「人が行う策」も含まれており、
そもそもで言えば「治療を行う施設が医療施設」であり「生活支援を行うのが介護事業所」なので、それぞれの特性に基づいた専門職の配置や策を備えているということであり、その環境の違いによる「生きる姿の差」だと僕は考えています。

 

だから医療職Aさんが、病院で仕事するのと介護事業所で仕事をするのでは、目的(設定環境)が違うのですから仕事の質が違って当たり前だということですが、
それを「どこにいようが患っている者(患者)にすることは同じだから」とし、そういう方が介護事業所のトップリーダーを担うと、本人を取り巻く環境としては「医療施設でも介護事業所でも同じ」ということになり、生活の場である介護事業所も治療の場である病棟のようになってしまうことでしょう。

 

「策」が違えば「姿」が違うのは当たり前

誤解を恐れずに僕の言い方をすれば「生きていれば転倒することもあるよね」と言えるのが生活だとしたら、治療の場では「転倒させちゃいけない」となるのは無理からぬことで、
だから「策」が変わり、策が違えば「姿」も違うということになり、これは医療施設か介護事業所かに限った話ではなく、介護事業所でも考え方の違いで「策」は変わりますから「生きる姿」は違ってくるということです。

 

だから、介護事業所でも「転倒ゼロ」を掲げてそれを実行しようとすると利用者の動きを止める策を講じることになり、それを実現できた分、利用者が動く生きる姿はなくなるでしょうし、
逆に転倒のリスクは伴うけれども「本人が生活の主体者だから、主体者として動けるように・活動できるように支援していこう」とすると、利用者が動く生きる姿はあるでしょうが、事故防止策を講じたとしても転倒事故の確率は高まるということです。

 

同じように介護事業所側が「動く姿」を目指しても、家族等が「転倒だけはさせないでください」となると「動かない姿」にならざるを得ないということです。

だから僕は「転倒だけはさせないでください」「外には出さないでください」と求められる方には、悲しいことですがそれに応えられる環境(策)にしている介護事業所があるので、そちらに行くことを勧めています。

 

何十年ぶりかのキャンプ。炎と二人きり、じっくり向き合うこと二時間。炎も雲も人も同じで、同じように見えたとしても「次に同じ姿はない」が、僕にとって、そこが大好きな理由かもしれない。

 

和田 行男 さん

1987年、日本国有鉄道から介護業界へ転身。1999年には、東京都初となる認知症高齢者グループホーム「こもれび」の施設長に就任した。