ホーム

認知症を学ぶ

down compression

介護を学ぶ

down compression

専門家から学ぶ

down compression

書籍から学ぶ

down compression

健康を学ぶ

down compression
健達ねっと>マガジン>羅針盤>和田行男>我が思考・実践のものさし「福祉とは」

我が思考・実践のものさし「福祉とは」

介護の仕事に携わるようになって、よくわからない言葉を見聞きしてきましたが、自分なりにかみ砕いてきています。「地域」「その人らしく」「尊厳」「自立支援」「介護支援専門員」「グループホーム」「家庭的」などなどですが、そのひとつが「福祉」でした。

 

笑えた「福祉が載っていない福祉辞典」

僕は「福祉の学問」を習ったことがありませんので、当たり前のことですが「福祉とは」を教わったことはなく、20数年前、グループホーム(介護保険事業で認知症の状態にある方の住まい)に従事しているとき自分なりに一生懸命考えたのですが、なかなか「福祉とはこうだ」ということに行き着けませんでした。

 

そんなある日友人が「和田さん、仲間と一緒に福祉辞典を出版したんです。良かったらお読みください」と辞典を持ってきてくれました。すばらしい巡り合わせでしょ。

「すごいタイミングやな。ずっと福祉とは何かについて考えてたとこや。その辞典、見せてよ」

と手にして「ふ」を調べたのですが「福祉」が載っていません。

「あんな、福祉辞典に福祉が載ってないんやけど」

「それは・・・」

「福祉辞典に福祉とはが書かれてないっておかしくないかい」

「おかしいです」

思わず二人で大笑いしました。

「笑いごとやないねん。ほんまに、しょうがない福祉辞典やなぁ」

 

ストンと落ちた「福祉とは」

結局、素晴らしい巡り合わせとはならず、その後も悶々と考えていたところ、ある雑誌にある方が「福祉とは、人々が幸福に暮らす生活環境」と書いていたんです。

「そうか、何を以って幸福かは別にして環境かぁ」

腹にストンと落ちました。

 

というのも、僕がグループホーム(介護保険制度による認知症対応型共同生活介護事業で認知症の状態にある方々の住まい)において生活支援を追求している中で「環境」を重んじていたからで、支援にあたる僕自身も本人にとって環境であると捉えていたからです。

 

「ここの入居者たちが幸福に暮らす環境を整えることが僕の仕事ってことならば、僕の目指していることや実践していることは福祉の専門性と言ってもいいのかもしれんわ」

 

そう思った瞬間、次に思いを巡らせたのは「人々の幸福とは何をもって判断するか」でした。

幸福の価値観は多様だと思いましたので、考えたことは「人にとって幸福の共通は何か」です。

つまり、自分だけの幸福感ではなく、少なくとも見渡す限りの人々に共通していることは何かを探っていけば、幸福の共通に出会えるのではないか。そう思ったんです。

 

そもそもから考察すると

僕は、「そもそも」から思考していくことが好きなタイプなので、そもそもオギャっと生まれたところから考えてみることにしました。

生まれたばかりの時と今の自分の違いは何かです。

 

考察していくうちに見えてきたことは、「今の自分は自分のことは自分でできることが基本になっているけれど、生まれついたときは、ほぼ自分のことが自分でできなかった」「今の自分ができることは、いつからかできるようになった」ということ、その中には「教わっていないけどできるようになったこと」と「教わり、見よう見真似でできるようになったこと」があることが見えてきました。

 

例えば、「吸う」は教わりませんし見よう見真似ではなくそもそも備わっているのではないかとか、「寝返り」をはじめ「ズリ・ハイハイ・歩行」は教わらないし見よう見真似でもないが、僕が二足歩行する生き物と一緒にいなかったら(環境になかったら)二足歩行しなかったのではないかとか。

つまり「自分のことが自分でできる」「その環境」というのは、当たり前すぎて意識しにくいことだけど「人々にとって幸福の共通」ではないか、そう考えてみることにしました。

 

世間を見渡すと

その視点から世間を見渡し、逆に「我が国において自分でできることに制限を受けるところはどこか」を俯瞰したところ「刑務所」や「病院」が描けました。

しかも、この二つに共通することは「罪を犯した者が収監される刑務所では、それまでと同じように生きていけないのはしょうがない」であり「病気を治療することが目的の病院では、それまでと同じようにできないのはしょうがない」という、国民の暗黙の合意・了解があるということです。

 

わかりやすい例えで言えば、僕らの暮らしでは「食べたいものを選択できる=自分の意思を反映できる」のはふつうのことですし「食べたいものを調達する行動がとれる」こともふつうのことですが、刑務所も病院も選択できず与えられたものを食すだけであり調達行動もありません。

 

つまり、自分のことが自分でできない状態で生まれてきて、やがて自分のことが自分でできるようになり、できることさえも刑務所や病院ではそれに制限が加わるということです。

 

刑務所は罪を償う場なので意思の反映や行動に制限を加えるのは理にかなっていて、それが人にとって「苦」の環境だからそうしているのだろうし、病院は治療が最優先だからいろいろなことに制限を加え「ふつうではない環境」にすることも理にかなっていると思いました。刑務所や病院が「それまで通りに過ごせる場」なら目的は達成できないでしょうからね。

 

ちょっと待てよ

さらに俯瞰していくと、自分ができることに制限を受ける・自分でする必然性がない(仕組みがない)ところとして「介護事業所」が見えてきました。

刑務所や病院と介護事業所を同じにするなんて非常識極まりないと怒られそうですが、生活の場である介護事業所を「意思の反映」「能力の発揮」といった「人の暮らしにあるふつうのこと」から考察すると、介護事業所における「要介護状態にある方々の生きる姿」は、「ふつうに暮らす僕らの生きる姿」よりも「ふつうに暮らせない刑務所や病院での人の生きる姿」に近いのではないか、そう思えてきたんです。

 

つまり、福祉の専門職である僕の仕事は「人々がふつうに暮らす生きる姿」から遠ざけないことにあり、暮らしの中にある様々なことに「自分(介護事業所の利用者や入居者)の意思が反映できるようにする」「能力が発揮できる環境を整えること」にあるのではないか。そこに行き着いたわけです。

 

だから、デイサービスに勤めているときは、活動に本人の意思が反映できるように選択メニューを取り入れ、その後従事したグループホームでは、その環境(制度も含めて)を駆使してさらに踏み込み、ひとりひとりに「何を食べますか」「どうされますか」「どの服を着ますか」というように、できる範疇ではありますが、意思を確認すること・聞くこと、本人が自分でできるように支援することを大事にする実践を追求してきました。

 

この仕事に就いてから、人が生きていくことを支援する職業人として当たり前のこととして「意思の確認」や「能力を発揮しやすい環境づくり」を実践していましたが、改めて「福祉とは」を考えることで自分の到達点を確認することができましたし「人々が幸福に暮らす生活環境を整えるのが僕の仕事」という生活を支援する専門職としての思考や実践の「ものさし(基軸)」ができた気がしています。

それから20数年の年月が経ちましたが、まだ、それに代わる基軸は見いだせていないですね。実践話はおいおい書かせていただきます。

 

写真1
写真2

記事を書いていて思い出したのですが、一年前の五月シンガポールに出向き「注文をまちがえる料理店」の現地版を現地法人からの要請で開催支援してきました。会場は、かの有名なマリーナベイサンズ(屋上にプールがあるホテル)の隣にあるコンベンションセンターで、日本で言う福祉機器展のような会場の一角で2日間開催しました。

料理店で接客係として働いてくださったのは老人ホームの入居者(認知症の状態にある方々)で、支援するスタッフはそこの介護職員です。

シンガポールでも日本でも共通していたスタッフの動きは「入居者のそばについて入居者ができるかどうか見極めることもなくスタッフが先回りしてやろうとすること」と「入居者の身体に触れて誘導しようとすること」と「待機するときに手を後ろで組むこと(写真1のように)」でした。

写真2は、僕が1日目を見て「スタッフの皆さんは入居者が本当に困ったときに手を差し伸べるようにしましょう。だからテーブルの脇に待機して見ていてください」と伝えた2日目の様子ですが、入居者にとって環境が変わったことで明らかに入居者の主体的な動き・お客さんとの会話の数は増えましたし、スタッフたちも入居者の「できぶり」に驚いていました。

 

和田 行男 さん

1987年、日本国有鉄道から介護業界へ転身。1999年には、東京都初となる認知症高齢者グループホーム「こもれび」の施設長に就任した。