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健達ねっと>マガジン>羅針盤>和田行男>介護に感じる「ズレ」を深慮する

介護に感じる「ズレ」を深慮する

政治の世界をよく表現するときに「国民感情とかけ離れた」というマイナスの言葉をよく聞きます。この度の政治資金規正法の改定でもワイドショー番組なんかで「国民の感覚とはかなりズレがある」というコメントが語られたりしていますが、介護の世界でも「ズレ」を聞くこと・感じることが多々あります。

 

歩けるのに車いすで送迎されているのよ

ある関西地域の町で開催された市民講演会に出席するために駅から会場まで歩いていると小じんまりとした喫茶店があり、立ち寄る時間もあったので大好きなコーヒーを飲みに入りました。

ママさんから注文を聞かれコーヒーが出てくるのを待っていると関西の方によくある人なつっこい語り口で「お兄さん、どこから来たの」と声をかけられ「東京からです」と答えると矢継ぎ早に「お仕事ですか」って聞かれたので「ハイ」とだけ簡単に答えました。

 

それで終わりかなと思いきや「何の仕事をしているの?」と突っ込まれ「介護系の仕事です」と素直に答えたところ、これで話しかけるのは終わりにして欲しいと思っていたのに「あら、介護なの。介護っておかしいわよね」と目が覚める一言が飛び出し「どうしてですか」と逆にのめり込んでしまいました。

 

「ほら、車の後ろから車いすだっけ、それを乗せられる車でお迎えにくるでしょ」

「デイサービスですかね」

「そうそう、それ。そのデイサービスとやらの車が迎えに来て、近所のおばあさんが車いすに乗せてもらって行っているのよ」

「何か、気になることでもあるんですか」

「この辺はね、お年寄りが多く、町の人たちで協力し合って月に一度お弁当を作って食べてもらっていて、そのおばあさんもお弁当を配る場所まで来られるんだけど、すたすた歩いて来るのよ」

「ハハハ、それは、おかしいですね」

「ほんと、おかしいでしょ。歩けないふりをしているのか。歩けるのに車いすに乗せているのかわからないけど、おかしいわよね」

 

ママさんの言っていることは、ことの真意はわからないにしても「歩ける人なんだから歩いて車に乗せればいいじゃない(乗ればいいじゃない)」と至極真っ当なことです。

僕の感覚で言えば「そもそもできることを維持する・取り戻せるようにするのが介護保険事業であり、歩ける能力を維持するために送迎車に自力で乗り込めるように支援する」のが介護保険事業従事者=専門職として本来的にやるべきことで、
歩行がおぼつかない状態ならまだしも、スタスタと歩ける方のようですから、素人の市民にズレ感をもたれても仕方ないですね。
それとも「歩けないふりをしていなさい」と周りから言われているんでしょうかね。

 

デイサービスだとお風呂代かからないから

僕がこういう仕事をしていることを全く知らない銭湯の大将が、町の人たちが集う宴で隣の席になり、お酒も入って程よいころ「ホント、嫌になっちゃうよ」と嘆き節。「初めまして」のご挨拶もそこそこに「どうされたんですか」と聞かせてもらうと。

 

「最近、デイサービスというのが増えてるでしょ。うちの常連さんが来なくなったので知り合いに聞くと、こないだまで来ていたお客さんがそこ(デイサービス)に行くようになり、風呂はそっちで入れるので銭湯に行かなくなったと言うんだよ。税金で風呂に入れるなんてなんか間違っているよな。他にもそういう常連さんだった人たちがいて、年寄りばっかりの街になっている上にデイサービスが増えて、うちはあがったりだよ」

「状態が変わって銭湯に来れなくなったんですかね」

「いいやぁ、前と変わってないんだけどデイサービスで入浴すればお金がかからないからって言ってんだって。おかしいと思わないかい」

 

これには苦虫をつぶすしかなく「そうなんですか」と冷や汗かきながら言葉を濁してしまいましたが、以前から、介護保険事業が街に根付いている社会資源を衰退させている「ズレ」に疑問をもっている僕としては「社会的仕組みとして、あかんなぁ」と思うばかりです。
同様のことを喫茶店のママさんも言っていましたからね。

 

素人の家族にできるんだから介護職は当然できるわよね

逆に国民感覚の「ズレ」を感じる場合も多々あります。

自宅で親を支援する家族は要介護状態にある親一人に対するだけの関わりですが、介護事業所では職員ひとりで複数人の支援にあたらねばならず、物理的には家族と同じようにできないのに「他はどうあれ、うちの親にはこうしてよ」と求められ「家族ができることなんだから介護職員は当たり前にできるでしょ」と言われることがありますし、医療的な行為も家族と同じように介護職はできると思っている市民は多々いますからね。

 

お金払っているのに本人がするの?

グループホームの申し込みで「入居者自身が自分のことが自分でできるように」と伝えると入居希望者の家族から「職員がいるのに入居してお金を払う母親が身の回りのことをするの?」と言われたことがありますが、これも「ズレ」で、
僕らは「有する能力に応じ自立した日常生活を営めるように支援するのが介護保険制度の目的」だと思っていても、国民は「介護はしてくれること」と思っている人が多いのも事実で、それに対して丁寧に説明し「目指すべき母親の生きる姿」を家族と共有できるところまで話して「ズレ」を修正せねばなりません。

重ねて言えば、入居者自身ができるように支援すると本人から「あんたら若い人がいるのに、私たちが掃除するの?」って言ってくる「ズレ」まで想定し、支援者として「若い者(職員)も一緒に掃除している姿」が入居者の目や耳に届くように振舞いますからね。

 

生きる姿で還すことで「ズレ」を埋めるしかない

結局、こうした「ズレ」を考察していくと、いずれも僕らが地道に仕事をすることでしか埋められないと僕は思っていて、介護事業を利用したあとの本人の姿を見ていただいたとき「状態や生活を維持できている、改善できている」と思ってもらえるように挑むことが基本的には必要だし、
国民の「ズレ」に対しては、まずできることで言えば、利用者・入居者の家族に対して手間暇かけて、そもそもの「仕組み(人員配置や職種配置など)」から伝えていくしかないと考えていますが、政治家も行政マンも現状の仕組みでは国民が願うこととズレてしまっても仕方がないことを語って欲しいもんです。

 

追伸

今年に入って、研修会や講演会に招かれる機会が増えてきました。やっぱりオンラインよりも肌感を得られる集合形式の会は、来てくださっている皆さんに合わせて自在に内容を変化させることができて愉しいですね。

来てくださった方々にこのブログのことをお伝えするようにしていますが、逆に内容によってはブログで案内させていただこうと思っていますので、活用していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

 

また、京都や静岡の大学に行かせていただき「Q&Aライブ講義」を学生さん相手にさせていただきましたが、時間が短く残った質問(Q)があり「このブログでお答えしますね」と伝えてきましたので、今後取り上げてみたいと思っています。

 

街中の中華料理屋ですが、僕にとっては思い出の店。
僕が20歳代の頃の職場近く住宅街の中に「ラーメン屋」がオープンしました。もう40年前のことです。
昼休みになると、オープンしたばかりのお店に後輩たちと昼飯を食べに行き、「ご飯とゆで卵10個」頼んでいましたが、先日、近くに行ったので「あるかなぁ」と思って景色の変わった街並みの中を探し求めたら健在で、思わず入ってしまいました。
当然、ママもマスターも僕のことを憶えてはいませんでしたが「卵10個」は記憶にあるようで、何となく嬉しかったです。見たことがある・やったことがあるっていうのは「ズレ」がなくて気持ち的に楽ですね。

  

このたび<CareTEX東京’24【夏】>の専門セミナーに登壇します。
僕の登壇は30日10時です。
良かったら来てやってください。

会期:2024年7月30日(火)~8月1日(木) 9:30~17:00
会場:東京ビッグサイト 東4ホール
主催:ブティックス(株)
受講料:無料(事前申込制)

セミナー情報の詳細、受講申込はこちらから
https://summer.caretex.jp/info/conference2024
セミナーに関するお問合せ:CareTEX事務局(TEL:03-3868-0901

 

和田 行男 さん

1987年、日本国有鉄道から介護業界へ転身。1999年には、東京都初となる認知症高齢者グループホーム「こもれび」の施設長に就任した。