ワンポイントコミュニケーション その13
「立ちましょう!」ではなく、「立てそうですか?」と伺ってみる。それは相手に一旦ボールを渡すこと、つまり主導権が介護者から本人へと替わります。介護者は主導権を本人に手渡すことによって、いつもと違う表情や反応に気づいて驚かされます。
主導権を握り相手を受け身にして見る世界と、相手に主導権があり自分が受け身となって見えてくる世界は随分と異なるものなのです。ここに「伺う」というコミュニケーションの大切な意味が隠されています。
いつもは介助されている人に、「立てそうですか?」と伺ってみます。すると“さて、立てるだろうか?”、あるいは“突然何を言い出すのか”など、いずれにしても考え、頭が働き出します。頭が働くとは覚醒することを意味しますから、当然、表情の変化や小さな反応となって現れるのです。
本人の能力に気づけないことで、必要以上の介助をしてしまう、それは結果的に本人の生活を奪い、心身の衰えを加速させてしまいます。一方、本人に存在する能力を引き出すには、頭が働き出さなければなりません、そして覚醒していただく必要があります。そのために介護者ができるのは、「伺う」コミュニケーションにしてみることです。
「伺う」コミュニケーションは介護力をも向上させます。「伺う」ことで本人の小さな反応、つまり動き出しが引き出されると、介助はその動き出しを活かしたものへ自然と変化するようです。介護技術とは、介護者に主導権のある状態で養われるのではなく、介護される本人に主導権があり、小さくとも主導者の動き出しが活かされた介助が技術となっていくものだと思います。
「伺う」は介護に関わらず普段のコミュニケーションにも有用です。「この仕事やっておいて!」ではなく、「この仕事やってもらえますか?」のほうが、相手から良い反応が得られますよ。「伺う」によって言われたほうが気持ち良く感じられるからこそ、やってみようかなという意思が働き出すのだと思います。
介護を必要とする人も、“できる”“できない”の前にやってみようかなという気持ちになる機会が少なくなっているのかも知れません。
「伺う」ことで、頭の奥にしまわれていた、やってみようの気持ちをも覚醒させる効果が期待できます。