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健達ねっと>マガジン>羅針盤>和田行男>「なぜ人は我が家に帰ろうとするのか」を思考する

「なぜ人は我が家に帰ろうとするのか」を思考する

なぜ、家に帰るのか

そもそもなぜ人は「我が家」を持つのか、なぜ「我が家」に戻るのか、戻ろうと行動するのか。「我が家」はヒトにとっての「巣」なのか。だとしたら「家に帰る」というのは、よく聞く「帰巣本能」なのか。

 

認知症の状態にある方が「自宅に帰る」と言うと「帰宅欲求・帰宅願望」といわれ「行動・心理症状」として脳の病気による「症状」扱いを受けますが、そもそも「家に帰る」は「欲求」や「願望」なのか、はたまた「症状」なのか疑問は尽きず、
学者でも研究者でもない単なる介護職の僕ですが、介護業界でよく聞く「コレ」について、この仕事に就いて早い段階で考えてみました。

 

なぜ、暮らしの拠点「我が家」から出るのか

僕が生きてきた中で実際に目にした人たちは、日本を含め「国」と言う概念でみて十数か国で暮らす人たちですが、僕が知る限りの範疇ではありますが僕と同じように「我が家」を拠点にして暮らしていました。

 

我が家の形は、平屋・高層住宅、一軒家・集合住宅、木構造・鉄構造・石構造、家の形も広さも備わっているモノなども実に様々でしたが、形はどうあれ「当人にとっての我が家」であり、親から独立してひとりで暮らしている方、血縁関係者や婚姻関係者と共に家族を構成して暮らしている方が多いように思います。

 

我が家をもち、それを拠点に暮らしを営みだしたのはいつ頃なのか、それは調べれば、今日現在の時点で「この頃から」という学術的見解はあるのでしょうが、よくわかんないことや自分で検証できないこと、調べないといけないことはさておいて、
逆転的にそもそも「なぜ人は我が家から出るのか」を思考の入口に据えて「我が家に帰る」ということを考察してみました。

 

意味や目的をもって我が家を出る

子供の頃に住んでいた我が家は、六畳一間の部屋が40部屋位あり、その一室を部屋借りする共同アパートでした。

部屋の中に小さなキッチンがあったのですが、生理的に必要な排せつ場所は共同(便所)でしたので、生理的必然性で部屋から出なければなりませんでした。

風呂場は共同アパート内に無いので銭湯に出向いていました。

 

当時も今も、生活を営む上で必要不可欠なものの調達は「我が家内」では満たせないので、我が家の外へと行動します。食材料品、生活用品、衣類、文具、家電製品、家具など生活に必要なもののほとんどの物を調達行動で手に入れます。

 

ある研修会でこんな話をすると、やや反論的に「自分が食べる分だけの野菜は自給しています」と言われた方がいましたので「建屋の中に畑があるんでしょうか」と問うと、「そんなわけないじゃないですか。我が家の敷地内に畑があるんです」と答えてくれたので「やはり建屋から出るんですよね」と言わせていただきました。

 

日常の行動をみると、産まれてから一定の期間を除いて、ほぼ子供から大人まで「我が家から外に出て暮らしを成している」ことがわかります。

つまり、我が家から出るのは「我が家を出ることでしか成せない必然性があり、出ることの意味や目的がそこにあるから」ということがわかります。

 

きっと、これを読んでくださっている皆さんには、我が家から定期的に外に出ることに「仕事」があることでしょうが、仕事に出る意味や目的の主は「お金を得る」ということではないでしょうか。

もちろん、お金を得ることだけが目的ではないでしょうが、「自分が願う仕事じゃない、食うためだ」の言葉に代表されるように、仕事に就くことの意味や目的の主は「お金を得る」ことで、ではなぜ「お金を得ることが必要なのか」です。

 

先ほど述べたように僕を含め多くの方にとって暮らしを営む上で欠かせないモノ・コトの多くは自給ではなく「交換」で調達していることでしょう。

では何と交換しているかと言えば、我が国では「お金と交換する仕組み=社会」になっていますので、子育ては「我が子が金銭的に自立できる=お金を稼げるところ」まで行うでしょうし、お金を気にして生きていくしかないわけです。

認知症の状態にある方の行動の中にも「お金」にまつわることが多いのもうなずけます。

 

意味や目的の重い方に行動する

人は「意味や目的の重い方に行動する」という特性をもっていると僕は思っていますが、その見方で他人様の行動まで見ていると間違っていないように思えます。

 

皆さんが、お金を得る意味や目的をもって我が家を出たとします。

お金を得るために約束した労働を済ませ「この後の予定はないし、今日は早く帰って子どもと遊ぼう」と思っていたところ、大切な同僚から食事に誘われたとします。

 

我が家に帰ろうと思っていたのに「我が家に帰る」と「同僚と食事に行く」の選択肢ができましたので思考し、その結果、食事に行くことに決めました。

つまり「我が家に帰る意味や目的=子供と一緒に遊ぶ」よりも重い意味や目的が出現したということですね。

 

食事が終わり、意気投合した同僚たちから「次、行こう!」と誘われ、また「行く・行かない」の選択をし、それを繰り返したのち「選択肢」がなくなると、皆さん自動的に我が家に帰る行動をとられます。

 

つまり、我が家から意味や目的をもって外に出た皆さんですが、外に居ることに意味や目的が無くなると我が家に戻る=帰るってことです。

 

また、大切な同僚たちから食事に誘われたとしても「我が家に帰る」ことの理由が「我が家で家族の誕生日会。みんなが待っている」だったら結果は変わるかもしれませんね。同僚と食事に行くことよりも意味や目的は重いと判断すれば「今日はあかんわ。帰る」と断ることでしょう。

 

なぜ、我が家に戻るのか

前置きが長くなりましたが、

人は

「我が家の外に出た意味や目的が終われば家に戻り」

「我が家の外に居る意味や目的がなければ家に戻り」

「我が家に帰ることに意味や目的があれば我が家に戻る」

と言うことが見えてきました。

 

僕が言っていることを一旦受け入れて、これを思考の「ものさし」にして「家に帰る」を考察してみてください。

 

認知症の状態にあるトメさん(仮名)はグループホームに入居していますが、本人にとってグループホームは「働きに来ている場」なので、食事の後片付けが終わると「おいとまします」と言われます。グループホームに居ることの意味や目的が終わったから我が家に帰るということです。

 

同様の状態にあるカメさん(仮名)はデイサービスに来ていますが、15時になると「息子が帰ってくるから、こんなところで遊んでいる場合じゃないわ、帰らなきゃ」と言われます。デイサービスに居ることの意味や目的よりも重い意味や目的があるから我が家に帰るということです。

 

さきほどの「ものさし」に照らすと、トメさんが「仕事が終わったので帰る」と言われるのも、カメさんが「息子が帰ってくるから帰らなきゃ」も、言われていることの「理」は真っ当で「そりゃそうですよね」だということがわかります。

 

また、あるときグループホームで暮らすヨネさん(仮名)が、ふらっと外に出て行かれたので着いていき、うまくグループホームに戻るように支援した結果、グループホームの前まで戻って来られたのですが、僕の方を見て「まだ、居るんだろう」って苦虫つぶしたような表情でこぼされました。

本当のことはわかりませんでしたが、きっとグループホームのリビングに居た他の入居者・入居者たちに対して不快を感じて居づらくなり、出て行かれたんだと思いました。

こうしたことも出て行かれることに意味や目的があるということです。

 

我が家に帰るのは当たり前の行動

こうして整理すると認知症の状態にある方が「家に帰る」と言われるのは「欲求や願望」と呼ばれる筋合いのものではなく、ましてや「症状扱い」するのは論外で、極めて人として当たり前の行動だといっても過言ではないでしょう。

 

僕とAさんが喫茶店で話をしている最中にAさんにどなたからか電話が入って「すまん、家に帰るわ」となったとき、僕はAさんに「帰宅願望か」とか「帰宅欲求か」なんて思わないし言わないですからね。逆に「帰宅欲求で帰るわ」って言わないですもんね。

 

この「ものさし」を使って「家に帰る」と言われる方への支援について次回、書かせていただきます。

 

先日「日本原水爆被害者団体協議会(略称:被団協)」がノーベル平和賞を受賞しました。
被爆者の立場から世界に核兵器廃絶を永年にわたり地道に活動してこられたことが高く評価されたようですが、受賞後に原爆ドームに行くと、写真のように数か国語に訳されたパンフが並べられ、海外から来られた観光客風の方々が次々に手に取り見て行かれていました。どこのだれがされているかはわかりませんし、商売なのかボランティアなのかもわかりませんが、本当に頭の下がる思いです。

平和公園では、修学旅行生や地元の学生たちが千羽鶴を供えたり、子どもたちが思い思いを詩にして披露していたりと、これまた頭の下がる思いでした。
公園内を歩いていると歌声が聞こえてきたので引き寄せられるように近づくと、僕も知っている歌を合唱していて、思わず少し離れたところで口ずさんでしまいましたが、地道な反核の行動や子どもたちの行動とは無関係に、大人たちは核兵器を開発し、戦争を引き起こしている現実に涙が自然にこぼれてきました。

友人にその話をすると「周りの人には、合唱している子どもたちのそばで口ずさみ泣いている変なおじさんに映ったでしょうね」と言われてしまいましたが、なんだろう、自分は何もしていない・しようともしていないからかもしれません。
(祝)ノーベル平和賞で、この曲を11月21日(木)苫小牧市で開催するカッパーズ「トーク&ライブ」で参加者とともにサプライズで歌わせていただこうかな。泣いちゃうかな。

 

和田 行男 さん

1987年、日本国有鉄道から介護業界へ転身。1999年には、東京都初となる認知症高齢者グループホーム「こもれび」の施設長に就任した。