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健達ねっと>マガジン>羅針盤>和田行男>社会生活が“共属感情”を生み地域社会生活へと開花していく

社会生活が“共属感情”を生み地域社会生活へと開花していく

僕が「地域とは」を思考し「おらが村」に辿り着いてから数年後、ある書物で「地域とは共属感情をもつ人々の一定の範囲」と書かれている文章に出会い、これが又、僕の「地域」への考察を深めるきっかけになりました。

2024年12月15日号の続きを書かせていただきます。

 

範囲から「共属感情」を考察すると

宇宙の単位で「共属感情」を考えてみました。

火星で「二足歩行をする、どうみても僕と同じ生物」に出会ったら「あんた、地球人か?」って聞くだろうな。

 

地球の単位で「共属感情」を考えてみました。

アフリカの居酒屋で「見た感じが僕と同じ人」に出会ったら「あんた、アジアの国の人か?」って聞くだろうな。

 

アジアの単位で「共属感情」を考えてみました。

ベトナムの居酒屋で「僕と同じ言葉を喋る人」に出会ったら「あんた、日本人か?」って聞くだろうな。

 

日本の単位で「共属感情」を考えてみました。

北海道の居酒屋で「聞きなれた言葉をしゃべる人」に出会ったら「あんた、関西か?」って必ず聞くやろなぁ。

 

関西の単位で「共属感情」を考えてみました。

京都の居酒屋で「聞きなれた大阪の土地について喋っている人」に出会ったら「あんた、大阪か?」って絶対聞くわなぁ。

 

大阪の単位で「共属感情」を考えてみました。

大阪の居酒屋で「僕が住まう阿倍野区のことを喋っている人」に出会ったら「あんた、阿倍野か?」って聞くだけでなく「阿倍野のどこや?」まで聞くやろなぁ。

 

阿倍野区の単位で「共属感情」を考えてみました。

阿倍野区の居酒屋で「僕が住まう美章園のことを喋っている人」に出会ったら「おんなじやん」って握手し且つ、ハグするかもしれんわ。

 

つまり「地域」というのは、ここで言えば「どの単位で考えるか」で「共属感情を持つ人々の一定の範囲」の「範囲」が変わってくることがわかり、「感情」にまで影響を与える点がとっても面白く、実はこの「共に属する感情の範囲」が「未来の地球」を考えるうえで非常に大事なカギになる気がしているんです。

 

共属感情が地球を救う

僕が子供の頃、怪獣映画で「宇宙大戦争」というのがありました。

それまでは地球上に存在する怪獣「ラドン」「ゴジラ」「モスラ」を個別に描く映画か、「ラドン対ゴジラ」というように、それら同士が対決する映画しかありませんでしたが、宇宙大戦争では初めて3つの頭をもつ宇宙怪獣「キングギドラ」という金星の怪獣が登場し地球を征服しにやってきました。

 

そんなことも知らない「ラドン」と「ゴジラ」は相も変わらず喧嘩をしていたのですが、地球征服の企てを知った「モスラ(幼虫時代)」が「ラドン」と「ゴジラ」に「争っている場合じゃない。地球を守るために力を合わせて闘おう」と呼びかけます。

でも全く相手にされず、致し方なく「モスラ」は自分だけでキングギドラに挑みますが、とうてい太刀打ちできません。それを見かねたラドンとゴジラが参戦しますが、それでもキングギドラの破壊力にはかないませんでした。

 

そこで怪獣たちは「チーム」を築きます。

自分の「弱み」をチームで打ち消し、互いの「強み」を活かし合います。

 

例えば「モスラ」は蛾の怪獣で、その幼虫ですから糸を吐き相手を糸で巻き付けて動けなくさせてしまうことができるのですが、大型怪獣のキングギドラに致命傷を与えるところに届きません。そこで空飛ぶ怪獣「ラドン」の背中に乗って空中から顔面に噴射するといったようにです。

 

地球に存在する怪獣たちがチームを組んで闘い強敵キングギドラをやっつけて金星に追い返すという映画ですが、「地球に存在する怪獣の共属感情と自分たちが存在する地球を守るために」が「共属感情をもてない敵・地球を乗っ取ろうとする敵をやっつけた」ということです。

 

アルマゲドンという映画もありましたね。

地球を破滅する大きさの隕石が追突するのを防ぐために、対立する米ソの先鋭たちがチームを組んで隕石を破壊しに宇宙空間へ旅立ち、その成功を願ってキリスト教、イスラム教、仏教などすべての宗派に属する者が一丸となってお祈りを捧げる姿が描かれていますが、「宇宙単位の共属感情=地球人として一体になった」ということで、僕はその共属感情に胸打ち、涙が止まらなかったです。

 

きっと地球人は地球という範囲で共属感情を持たない限り、いがみ合い・奪い合い・なすり合い・我がファーストを重んじるんでしょうね。

 

社会生活がベース

さて、ぐっと身近なところに話を戻しますが、介護事業所に転居してきた人たちは、圧倒的に他者の力を借りないと生活が営めない人たちで、僕のように自力で社会の中に「知り合い=共属感情」を築けない方々です。

 

そもそも僕ら支援者が存在する意味は「自力で成せないことを成せるように支援する」ということであり、ここで言えば「知り合えるように支援する」「共属感情を抱き合えるように支援する」ことになります。

 

こう言えば、それが目標になってしまいがちですが「地域社会生活」と謳う手前に「社会生活」があって、人が生活を営む上で「社会」は不可欠ですから、不可欠な社会の一員として生活を積み上げた結果「地域社会=共属感情のある暮らしを営むところになることができる」ということです。

 

というように軸を据えて「高齢者福祉における入居型の介護施設」を俯瞰すると、基本は「社会生活」を意識した仕組みになっておらず「収容して保護する=収容所生活」の考え方にあるように思います。

だから「収容したのち社会生活を継続的に営めるように・取り戻せるように支援する」という考え方には至れなかったのではないでしょうか。

 

それが特別養護老人ホーム(以下 特養)における運営基準の「食事の提供」に表れていると僕は思っていますが、特養という仕組みが創業当初から「社会生活の継続支援・再構築」とその向こう側に「地域社会生活の継続支援・再構築」を描いていたとしたら、おそらく「食事」は「提供」にしなかったのではないでしょうか。

その後に制度化された現介護保険法の認知症対応型共同生活介護(以下 グループホーム)には「食事の提供」という運営基準そのものがありませんし、費用徴収も「食費ではなく食材料費」にしてくれていますからね。

 

つまり、グループホームでは「社会生活の継続や取り戻し」まで視野に入れた仕組みにしているため「食事の提供」を組み込まず「自炊(自分で・自分たちで食事をつくる)」を推進したのではないかと思っているほどです。

 

というのも「自炊」では「食材料の調達行動」が不可欠であり、運営基準に謳う「家庭的な環境の下で」を「一般的な人の生きる姿」に照らして考察すれば「食材料調達の場(市場など)は社会に存在する」ため、調達行動はおのずと社会生活をともないますから。

 

合わせて、それを毎日のように繰り返していけば調達の場を通して互いに「見慣れた人」になり、見慣れてくれば言葉を交わしやすくなり、言葉を交わすことを繰り返していけば「見慣れた人から知り合いとなる」確率は上がり、それが「うちの街の施設に住む人=互いに見たことのある人=共属感情」となり「社会生活」は「地域社会生活」へと展開していく土台となるからです。

 

ですから特養でも職員の支援を受けて入居者が和菓子屋に毎日のように和菓子を調達に行けば「入居者と和菓子屋は知り合い」になれるでしょうし、グループホームでも職員だけで食材をスーパーで調達していれば「スーパーの人と入居者は知り合いにはなれない」ということです。

 

「社会生活を営めるように」は「生活支援のベース」

地域との関係や地域との連携、地域包括ケアを考える前に「社会生活を営めるように支援すること」に取り組むことが大事であり、その積み上げが地域社会生活へとつながり、それは結果として「関係や連携の基盤づくり」となり「事業者が住民や社会資源との関係や連携を展開しやすくなる」ということです。

そうした社会生活を積み上げた結果として、介護事業所の利用者・入居者がひとりで事業所を出られると「お宅の方、あちらに歩いて行かれましたよ」と情報提供してくれたり「災害時などに助け合うことができたり」「一緒に探してくれたり」「差し入れしてくれたり」など、共属感情をベースにした行動が起こるということではないでしょうか。

 

僕がかかわって取り組んだ老人保健施設における「施設の外に出て活動することの利用者への効果」を検証する研究事業の結果では、毎日のように外に出たことで利用者のことを地域住民は知り、時間(見かける量が増える)の経過とともに利用者にとって地域住民は「見たことのある人」となり、互いに挨拶を交わすようになりました。

その結果、地域住民が通り道にベンチを配備してくれたり町内会は利用者が排水溝に落ちないように市に掛け合って転落防止柵を設置してくれたりと自発的な応援が出現しました。

つまり、「おらが町内の人」「おらの町内」になったということです。

 

社会生活支援策は「手間」がかかる「手間賃」を

よく「うちの利用者・入居者は歩けない人ばかりになったから出かけられない」という声をいただきます。それを分解して考えてみましょう。

 

グループホームに例えると、入居者(9人)全員が自力歩行可能者で社会生活への支援において移動支援が必要なく、職員2名が見守り程度の支援に付き添って出かけられていたとします。

その入居者の状態が変わり、9人全員が歩けなくなり、車いすで移動支援を要する状態になると職員2名では対応しきれなくなり「出かけられない」となりがちですが、出かける入居者1人に職員1名、グループホームに残る8人に職員1名で対応した・対応できたとします。

 

1日1回買物をするために出かけるとすると、9人全員が出かけるためには9日必要ですから、9人が毎日出かけることができていた時に比して社会生活の機会は九分の一まで下がりますがゼロではなく、出かけられないわけではありません。

職員1名と入居者1人で1日1回買物に出かけると、ひと月の単位でみれば入居者1人につき月3日以上は社会生活を続けられます。

 

それを、状態が変わったにもかかわらず同じように9人が毎日出かけようとすると、「①職員等支援者を9名にする」か「②9人が時間差で買物に出かける」かのどちらかになります。

①も②も可能性がないわけではありませんが、①は職員(制度仕組み)の配置だけで対応するのは不可能なのでボランティアなどに依拠するしかありません。

 

いずれにしても状態が変わってなお「9人が毎日出かけることを継続する」のは非現実的で、社会生活への支援を念頭において取り組んでいる事業者・事業所では「状態が変わったことで社会生活の機会は減らしてしまうが失わせない支援」へ知恵と工夫を凝らすことでしょう。

 

そもそも介護保険法の目的には「有する能力に応じ自立した日常生活を営めるように」と謳われていますので「能力が変われば自立した日常生活を営む姿」が変わってしまうことは想定済みなのです。

 

こうして考察すると、グループホームという仕組みは特養に比して「地域社会生活の再構築を図りやすい事業になっている」ことがわかります。

ただ、社会生活への支援策は「知恵も含めて手間がかかる」「事故等のリスクが高くなる・責任を問われたくない」「居残り対応が職員ひとりではできない」といった理由で敬遠されがちです。

 

そのどれもが「その通り」であり、僕自身こう言いながら「安易に取り組むべきではない」と思っていますが、逆に「社会生活支援」に取り組んでいる事業所には「手間賃を支給すべきだ」とも思っています。

現に訪問介護事業では「やってあげる代行(家事援助)」よりも「本人ができるように支援する(身体介護に位置付けられている見守り的援助)」のほうが「介護報酬が高い」ことを思えば、専門性が高いということでしょうからね。

四六時中事業所の中に籠らせているところと日常的に社会生活を意識した支援をしているところが同じ報酬というのはおかしいと思いますが、いかがでしょうか。

 

又、胃ろうを装着した状態になっても社会生活への支援は可能で「胃ろう装着=社会生活不可」にしてしまうのは本人の状態からではなく、支援する側の課題なんですよね。

 

地域社会生活をボロボロにした国づくり

こうして「地域とは」を考察すると、実は「この国」が「地域社会生活を壊してきた」のではないかと思えてきます。車を使って郊外の大型店に買物に出向く街づくりは、街の中に点在していた商店を駆逐し、気づけば全国あちこちの町がシャッター街化してしまいました。

こうなると「歩いて行ける場所に生活に欠かせないモノを調達できる店がない街づくり」ですから、高齢者にとっては出かける機会を減らす街づくり、人との関係を希薄にする街づくり、建屋に閉じこもる確率を上げる街づくり、脳と身体を使わない街づくりをしてきたということですからね。

 

そういう視点から東京を見ると、地方に比べて東京の高齢者が街を歩く姿が目につきますが、歩いて行ける場所に「生きていくために必要なモノ」を調達できる商店がありますからね。高齢期に入って足腰が弱くなってもなお社会生活を継続できる環境があるからではないでしょうか。

 

僕の子供の頃の光景は、街の中に町の人たちが集まる市場や商店があり、そこで顔を突き合わせ言葉を交わし合っていました。それはヨーロッパの都市やアジアの国々に行くと今でも目にしますが、日本はアメリカ型の街づくりをしてきた結果だと僕は思っています。

 

さらに今は、地域社会生活環境を破壊した街の上に「ネットで注文」「オンラインで仕事」ですからね。このまま人と人が顔を合わさなくても、息づかいや肌のぬくもりを感じなくても生き合える社会に向かっていくのでしょうか。

 

僕の知る範囲ですが、町内会や子供会など住民が言葉を交わし知り合う場に参加しない住民が増えるなど、近代になって「共属感情を強める取り組み」は毛嫌いされるようになったのではないかと思っていました。
でも、超少子高齢社会化、人口減少、災害多発時代を迎えた今、それを取り戻す取り組みが盛り返してきているようでうれしい限りですが、こうして「地域社会生活」を考察している僕は、今の時点ではきっと「古臭い」んでしょうね。

 

写真
ネパールからの帰路に寄った御殿場のオートキャンプ場で設営したドームテント内から富士山を撮った写真です。
この写メを家族に送ると、我が家の奇才坊が「カッカ(母親のこと)、トット(父親である僕のこと)ってネパールでキャンプしているんだ。これエベレスト?」だって。まさに奇才!

 

担当編集者の関連実践後記~本稿を読んで思うこと

「“共属感情”なるほどなぁ!」と思うと当時に最近のモヤモヤが晴れる回でした。

某アパレルショップで開店を1時間早め、介護施設や障がい者施設の入居者をお買い物ツアーとして招く取組みがあります。この取組み自体には何ら異論がないのですが、グループホーム入居者がこれに参加をしていることを耳にして複雑な気持ちになったことがありました。

地域密着型の冠を掲げたグループホームの職員は入居者が店員としか接点を持たない異質な空間で買い物することに違和感を覚えないのか。見知らぬ人の服装を見て「素敵だな」とか「あの色の組み合わせいいな」と考える。店内に飛び交う声を聞いて人の存在を認識する。人の会話や服装から時間や天気や季節の変化を感じる。その瞬間にだけある独特な空間があってこその買い物なんじゃないか、と考えたものです。

 

和田 行男 さん

1987年、日本国有鉄道から介護業界へ転身。1999年には、東京都初となる認知症高齢者グループホーム「こもれび」の施設長に就任した。