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健達ねっと>マガジン>羅針盤>和田行男>熱雷の中で改めて考えた「自立」とは何か 後編

熱雷の中で改めて考えた「自立」とは何か 後編

子育ての獲得目標

子育てをしている方に「我が子にどんな大人になって欲しいか」と聞くと「一流大学を出て一流の会社に入って欲しい」「健康であればいい」「やさしい大人になって欲しい」など、具体的なことから抽象的なものまで「こうだ、ああだ」と思いの丈を答えてくれます。

 

その大人たちはどんな姿で生きているかと言えば、生き方は多様、持ち物も職業も住居も多様多種なので「みんな違う・同じはない」と思って思考を止めてしまいがちですが、
突っ込んでいくと違いはあったとしても「人間として共通しているのではないかと思えること」があり、その「共通していること」が子を育む時の基本にあり、その上に「こうあって欲しい」が乗っかっているということが見えてきます。

 

○自分のことは自分で

できないこと・わからないことだらけで産まれてきた赤子に「できないまま・わからないままを維持してやろう」と考えて子を育む人を僕は知りません。

糞尿を垂れ流すことしかできなかった子がこの国の「排せつ文化」にのっとり、決められた場所で決められた手順に基づいて排せつできるように育むことでしょう。

口に運んでもらうことでしか栄養を摂り込めない子がこの国の「食ごと文化」にのっとって道具を使って自力で食べられるように育むことでしょう。

着脱出来ない衣類を自分で着られるように、自力で買物できるように、自力で乗り物を使って移動できるように、お金を稼げるようになど「自分の意思を行動に移しやり遂げることができる=自分のことが自分でできるよう」に支援するはずです。

 

○互いに助け合って

「あんた、最期まで自分ひとりで生きていくんやで」

そんなことを子どもに言う大人はいないだろうし、いたとしてもそもそも親(自分以外の人)がかかわっていますから、正しくないですね。人は一人では生きていけず他者との間に互いの関係を築いて生きていきます。

類人猿研究で著名な大脳生理学者大島清さんから、産まれた直後から群れの中には入れず単独で育てた猿二匹を成長してから群れに放つとどうなるかという実験で、単独で育てられた猿同士が怯えて抱き合った結果になったという話を聞いたことがありますが、人も、人と人の関係の中で初めて「人となり」ではないでしょうか。

人は教わることはなくとも「自分のことが自分でできるように」を基礎に、人と人が関係を織りなして生きていくことができるように子を育んでいるはずです。

 

○社会とつながって

人は「自分のことが自分でできるよう」に又、「人と人が関係を織りなして互いに助け合って生きていけるよう」に子を育むだけでなく、「人」が長年にわたって築いてきた「社会」の中で生きていけるように育んでいるのではないでしょうか。

僕の経験上での話ですが、例外的に建屋の中だけで生きている人に出会ったことがあります。

生まれつき若しくは発達時に何らかの原因で障害を有してしまったようで、親御さんたちが建屋から外に出さない=社会から隔離して生かしていました。

 

僕が考察して得た「自分のことは自分で」「互いに助け合って」「社会とつながって」という共通の生きる姿は、例外を除いては僕が見てきた他国の人たちも同じで、テレビ番組を見る限りですが、地球上に存在する「人」に共通する生きる姿ではないかと思っています。

 

人々の願い

自分のことが自分でできなかった僕がいつの頃からか自分でできるようになり、人間関係を構築できなかった僕が関係をもって生きることができるようになり、社会生活を営めなかった僕が営めるようになったということですが、
できるようになった・わかるようになったことを今も維持できているのは、それを維持できる状態(能力)や環境(これは大事なキーワード)にあるからでしょう。

 

市民講演会で参加してくださった皆さんにいつも聞いています。

「見ている限り歩いてこの会場に入ってこられ、今の席に座られた方々が大多数ですが、1歳過ぎからずっと歩いてきたので80歳になったら歩くのを止めたい。他者に運んでもらえる状態=歩けない状態になりたいと思っている方はいますか」

「自力で道具(箸やスプーンなど)を使って食べていると思いますが、85歳になったら、もう自分で食べたくない。他者に食べさせてもらう状態になりたいと思っている方はいますか」

「トイレに行って自分で始末されていると思いますが、80歳になったら自分で始末できない状態になりたいと思っている方はいますか」

誰もが口々に「なりたくない」と言われます。

 

68歳の僕は18歳の時の僕とは全く違う「景色」の中で生きていますが、先述の「自分のことは自分で」「他者と関係をもって」「社会とつながって」の基本的な「生きる姿」は全く変わっておらず、
しわや白髪が増えようが、20歳の頃のように走れなくなろうが憶えられなくなろうが食べられる量が減ろうが新しいことへ順応できなくなろうが、変わらぬ基本の姿で生きていられている脳と身体の状態に感謝するばかりです。

僕が知り得る限りですが、大多数の人は「できなかったことができるようになり、わからなかったことがわかるようになり、それを維持できている状態のまま、必ずやってくることを誰もが知り承知している死まで」と願っています。

でも、その願いを全うできるか否かは誰にもわからないんですよね。

ただ言えることは「要介護状態」というのは、その願いに反する不本意(自分の意思や気持ちに反する)な状態になるということで、要介護状態にある方にかかわらせていただく僕らは、そのこと(不本意な状態だということ)をしっかり認識しておくことです。

 

取り戻したいのは「状態」ではなく「生きる姿」

転んで痛みが出て歩けなくなると、ほとんどの人は病院に行くでしょうが、なぜ病院に行くのかを考察してみました。

まずは、痛みや歩けないことの原因究明・治療の専門職は医師だということがわかっていて、医師の居場所は病院だということを知っているからでしょうが、そもそも「なぜ、痛みをとりたいのか、歩ける状態を取り戻したいのか」についてです。

 

きっと痛みが出る前自力で歩くことができていた時、様々に出来ていたことがあるんでしょう。

普段は「歩くことができる状態」に感謝なんてしたことがない自分でも、いざ、歩けなくなると「歩けることのありがたみ」を感じるでしょうし「歩ける状態ってステキなんだ」と思えることでしょうが、それ以上に歩けなくなって実感する不自由さ・失う生きる姿から「歩ける状態の取り戻しへの願望」が強くなることでしょう。

 

つまり、「歩くことを取り戻したい」のは単に歩ける状態を取り戻したいのではなく歩けていたころの自分の生きる姿を取り戻したということで、
「元の生きる姿を取り戻したい(から)→取り戻すためには歩けることが必要(だから)→歩ける自分を取り戻したい(から)→治したい(から)→治してくれる人のところに行く(だから)→医療機関に受診する」ということではないでしょうか。

 

医療や介護の専門性の原点

齢を重ね、病気を患い、思うように動けなくなると「他者が代行してくれる」ことにありがたみを感じますし、代行する方も喜んでくれるので「やってあげたくなります」が、前述のようにそもそも人は自分でできることを放棄して自分でしなくてもよい状態になることを望んではいません。

又、他者と関係を断って一人だけで生きる姿を望んでもいませんし、社会と断絶した生活を望んではいません。いたとしても、のっぴきならぬ事情があってのことと推察できます。

 

つまり、現象に惑わされることなく一喜一憂することなく、そもそもの「人が願う生きる姿」を取り戻せるようにすることが医療や介護の原点で、その上にのっかる個々の願いに応えることが展開すべきことなのですが、そもそもの願いを吹っ飛ばして上に乗っかる願いにだけ目を向けがちです。

 

極論で言えば、認知症の原因疾患となっている病気(アルツハイマー病など)を根治することが誰にでも可能になった時、認知症の状態にある人はどうするか、家族はどう願うかです。

根治することを望まず認知症の状態や進行する病気を患う自分のままで死までいくのか、病気を根治して認知症を解き元の自分に戻って残りの時間を過ごすのかの選択ですが、そこが原点だということです。

 

僕がトメさん(仮名)を支援することでトメさんにとって僕(支援者)が不要になることが僕の極みの専門性で、
僕のことが不要になったトメさんの年齢にもよりますが、その時のトメさんは「自分のことは自分で・互いに助け合って・社会とつながって生きる姿」を取り戻しているはずであり、僕はその極めに向かってひたすら追求し続ける専門職なのです。(事例は次回)

 

明治初期に開港した北九州市門司港あたりには、JR門司港駅をはじめレトロな建物が残っていて観光地になっていますが、港にある倉庫群もそのひとつ。先日、その辺りをぶらついていて目に飛び込んできたのが「たばこのむな」の看板。
煙草は「喫煙」と表現しますから「喫(のむ)」が正しいのでしょうが、今頃は「煙草を吸う」と言うので「のむ」は死語になりつつあるかもしれず、若者たちから「たばこをのむって飲み込むんですか?」なんて言われかねませんね。
ちなみに「喫」なのに「吸殻」なんですよね。ほんと、日本語は難しい!

 

和田 行男 さん

1987年、日本国有鉄道から介護業界へ転身。1999年には、東京都初となる認知症高齢者グループホーム「こもれび」の施設長に就任した。