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健達ねっと>マガジン>羅針盤>和田行男>「入口ハンバーグ:出口餃子」で認知症を超える

「入口ハンバーグ:出口餃子」で認知症を超える

注文をまちがえる料理店at都庁を開催

1994年、国際アルツハイマー病協会(ADI)と世界保健機関(WHO)と共同で、毎年9月21日を「世界アルツハイマーデー」と制定し又、9月を「世界アルツハイマー月間」とし「認知症への啓もう」等の活動を繰り広げてきています。

この国でも各地で様々な取り組みがされていますが、さらにわが国では今年、認知症基本法が施行されましたので、これまでよりもボリュームアップされた取り組みがされている・されるのではないでしょうか。

東京都においても毎年開催している「都民向け講演会」に合わせて、僕が理事長を務めさせていただいている
一般社団法人「注文をまちがえる料理店」にコラボレーション企画の打診を受け、東京都庁内の食堂で
「注文をまちがえる料理店」を9月17日に開催することになっており準備しているところです。
(一般参加・見学はできませんのでご了承ください)

僕らにとっては、昨年、シンガポールで現地法人とコラボ開催して以来の取り組みです。

 

NHK「プロフェッショナル」の取材から生まれた「注文をまちがえる料理店」

今から12年前の2012年、NHK「プロフェッショナル ~仕事の流儀~」という番組の取材を受けました。

この番組への取材依頼は、それから遡ること数年前より打診されていましたが、僕が認知症の状態にある方々の生活支援に直接かかわることがなかったことから、
「それでは番組にならない」ということで取材されることはなく、かといって白紙になることもなく、
初めて打診されて以降、毎年一回「今、和田さんは何をされていますか」と尋ねてこられていましたが、
2012年3月にもそれまでと同様に打診がありました。

 

「和田さんですか、プロフェッショナルのディレクター小国と言います。今までのディレクターから引き継ぎましたので、ご挨拶に伺いたいのですが…」と言われたので、僕が住まう名古屋に来ていただきました。

「毎年聞かれてきたかと思いますが、今何をされていますか」

「いや、4月からこのすぐそばで介護事業所(認知症対応型共同生活介護:通称グループホーム)を開設するから、三か月くらいはどっぷり入ってみようと思ってるんやわ」

「そうですか、それならば取材したいのですが、いかがでしょうか」

「いいよ」


そんなノリで取材が始まりました。

 

小国さんはNHKで「NHKスペシャル」などの番組制作に関わっていた方ですが、「介護」「認知症」の取材は初めてだというので、まずは「質疑応答」からスタートしました。
それを3日間やる間、カメラマンと音声担当者には取材するグループホームで遊んでもらっていました。

 

遊びと称しましたが、この「遊び」はとても重要で、撮影に携わる方々が認知症の状態にある
グループホームの入居者にとって「全く見知らぬ人」から「見たことのある人・化」への時間であり、
入居者にとって撮影者たちが「見たことのある人」になることができれば
「構え」が弱まり、入居者たちは普段通りの自然な姿で振舞えると想定してのことで、その通りになりました。

 

新規開設のグループホームですから、僕にとって入居者のことも職員さんのことも、ほぼ「情報も関わりもなし」の状況下での撮影突入であり、まさに「何が起こってもおかしくない」を想定しての取り組みとなりました。

プロフェッショナルの映像をご覧になった方はご存知かと思いますが、職員さんの対応が不十分で、入居者の
おひとりが朝外出されたままどこに行かれたかわからなくなり、夜まで探し回る、
別の入居者の方は四六時中外に出られる・窓からも出られる・職員の声掛けで事業所に戻ろうとされないなど、開設直後から想定通り様々なことが起こりました。

 

そんな中、微笑ましいエピソードのひとつにこんなことがあったようです。(僕が不在時の出来事です)

撮影中のグループホームで「お昼ご飯を何にするか」の話し合いが職員と入居者とで行われ、入居者の意向を
反映してメニューは「ハンバーグ」に決まり、皆さんでその食材料を市場に買い出しに出かけ、
皆さんで調理をし、出来上がって食卓に出てきたのは「餃子」だったそうです。

僕らの中では「普通に起こり得る想定内のコト」が実際に起こったということですが、認知症の状態にある方に初めて接する小国さんにしてみれば「あれ、ハンバーグじゃなかったの」となり、思わず声を出しかけたそうです。

でも、入居者も職員もそれに疑問など全くなく食べ始める様子を見て声をのみ込み、瞬間ではありますがいろんなことを考えたそうです。

 

「異をとなえようとした自分が間違っているんじゃないか」
小国さんが「自分にとって注文をまちがえる料理店につながる原風景になった出来事だった」といつも話されますが、その瞬間でした。

 

愉しんじゃいけないけど愉しいと思えたお好み焼き屋さん

時を同じくしたある日、小国さんに
「僕の自宅近くにお好み焼き屋があるんやけど、注文をまちがえるお店やねん。今度、一緒に行こう。
愉しいよ」と話しました(残念ながら小国さんが名古屋滞在中に行くことは叶いませんでしたがね)。

そのお好み焼き屋は、注文をとりにくるのがマスターで、作るのがママ。
マスターに注文を告げるとママが僕らから見える場所・大きな鉄板の上で焼いてくれる昔ながらのお好み焼き屋スタイルのお店です。

 

ところが、焼き始めてしばらくすると「お客さん、なんだった?」とママが聞いてきますので
「ママ、豚玉です。お願いします」と答えるのですが、同じやりとりが三度続きました。

 

僕は二度目で「?」を抱きはしましたが、反応したのはマスターで四度目ママに「何度聞くんだ。お客さんは〇と△って言っているじゃないか」と怒り出す始末です。僕としては不謹慎ながら、僕とのやり取りのみならず
マスターとのやり取りまで愉しくなり、ワクワクしてその場にいました。

 

お好み焼きを食べ終えお勘定を払うときのことです。お勘定を計算するのはマスターでした。

 

「マスター、ありがとう、おいくらですか」って聞くと、かなり頓珍漢な金額を告げられたので
「マスター、それでは大損するで。僕が計算すると〇円やで」
とお客である僕が訂正して支払いました。

 

他にひとりの若そうに見えるお客さんがいましたが、この方は常連さんのようでクスクス小笑いしていました。
なんとも言えないあったかさを感じるお店だったんです。

失礼ながら、きっと認知症だったのかなぁ。

次に行ったときには閉まっていて、しばらくして再開したのですが、すぐに閉店(廃業)してしまいました。

 

小国さんとの再会でスタートしたプロジェクト

プロフェッショナルの撮影が終了し、放送が終了した三年後、2015年に小国さんと再会しました。

 

「和田さんは、今何をしようとしているの」

「今までもこれからも変わりはないけど、前にも話したように認知症の状態にある人たちが介護事業所に
入居したとしても労働者として働ける場をつくりたいと思っている。
認知症の状態になって介護事業所に入居するとお金を支払うばっかりやねんけど、
環境があればお金を稼ぐ能力のある人たちもいるし、介護事業所に入っても労働者として復権できる事業や社会にしたいねん」

 

小国さんは、僕の話を聞いたあと、撮影開始早々にあった「入口ハンバーグ:出口餃子」のエピソードを話してくれ、その時に「注文をまちがえる料理店」を思い描いたと。

 

「和田さん、それ一緒にやりませんか?」

「それ、やろう!」

 

そんなノリで「注文をまちがえる料理店」が動き出しました。

 

小国さんが発起人を、僕が実行委員長を担うことになり、2016年「注文をまちがえる料理店実行委員会」を
立ち上げ、2017年6月プレ開催を経て9月に六本木のレストランを三日間借り切って全12回開催しました。

プレ企画を実施したことが参加された方によってインターネットを通じて世界中に拡散していたようで、
世界中のマスコミが取材に来られるほど反響を呼びました。

 

つまり、長生きするようになってきたホモ・サピエンスにとって「認知症」「認知症になって以降の人生の在り方」は大きな課題になっていることの表れだということです。

 

自信を取り戻しかけた方との運命的な出会い

その前のことですが、僕が「若年性認知症の家族の集まり」に呼ばれたとき、ピアノ演奏をされている方がいました。

 

主催者に聞くと、ご夫妻で音楽(旦那様はチェロ奏者)に取り組まれていたようですが、奥様が認知症になり、
大好きだったピアノを弾かなくなり・弾けなくなっていたのを旦那様がサポートして、
この集まりで披露するために練習を重ねられ、ピアノを弾くことを取り戻してきた方だと。

僕も僕のボスも常々、認知症の状態にある方に入社していただき「労働者として働いていただくこと」に挑みたいと考えていたので、その集まりの後の懇親会で代表者に「認知症の状態にある方で仕事をしたい方を募ってもらえないか」と打診しました。

すると代表者も大賛成してくれ、ピアノを弾かれていた女性含む3名が応募してくださいました。

 

認知症の状態にある方の雇用での課題は「通勤」でありその手段なのですが、自転車で通勤できる距離に僕が
所属する法人の事業所がある方が1名いて、その後、何度か試みをしたところ自転車通勤が可能だということで
採用させていただきました。

それがピアノを弾かれる女性で、小規模多機能型居宅介護併設のデイサービス(通所介護事業)で働いていただくことになりました。

 

注文をまちがえる料理店実行委員会のメンバーは認知症の状態にある方と接した経験がなく、実行委員会での
議論が行き詰まる場面がありました。

僕が「こうだよ、ああだよ」と言うよりは実行委員会に認知症の状態にある方に来ていただき、
ご家族の話も含めて聞かせた方が良いと判断し、うちの職員であるピアノを弾かれる女性とその旦那さんを
実行委員会に招きました。

 

招いたもうひとつの理由は、僕の中で注文をまちがえる料理店本番でその方にピアノ演奏をしてもらうことを
描いていたのですが、たまたま実行委員会を開催していた会場にピアノが置かれており、
これが良いきっかけになりはしないかと目論んでのことです。

 

この二つの目論見は的中で、僕から見て実行委員会メンバーの霧が晴れてギアチェンジできましたし、
注文をまちがえる料理店本番でピアノ演奏も実現できました。

 

目的があるって誰にとってもステキな生きるエンジン

かしこまった場で、お客様の前で間違うかもしれないピアノを弾くことへの挑みは、かなりハードルが高かった ことでしょうし、大変な努力をされたことでしょう。

また、料理店で接客された認知症の状態にある方々も同様でしょう。

 

その結果、注文をまちがえる料理店を通して「環境があり、目的をもって挑むことが認知症(できなくなる・わからなくなる)を超える」ということを「その姿」で見せてくださり、その場にいた方々のみならず、その映像を目にした方々の心を揺さぶりました。

 

認知症の状態にある方のピアノ演奏に、接客係を担ってくださった認知症の状態にある方が聞き入っていて、
演奏が終わると大拍手されていましたからね。

また、「環境圧力は生きる力の素になる」「認知症の状態であろうが・なかろうが」であることをあかしてくれました。

 

これをもって「認知症の人にとって役割が大事・人の役に立つことが大事だ」と評する方がいますが、
僕はそのようにはとらえていませんし、それはとても人として失礼なことだと思っています(これは又、改めて)。

 

とにかく「認知症の状態にある人は環境変化に弱い」から「情報を制限する」と建屋に閉じ込める理由付けにされ、「失敗は禁物だから」と「絶対に失敗しない環境づくり=させない環境」に置かれがちですが、それも「人による」ということもありますが「環境次第」だということでもあり、
「弱い」「失敗」を想定した「受け止める環境づくり」が大事だということです。

 

現にピアノを弾かれる方の旦那様は「彼女にとって失敗はつらいこと」と、実行委員会に初めて来ていただいた時には言っていましたが、彼女自身は本番で何度失敗しても「もう一度やってもいい」と口にされ、途中で止めることもなく3日間12クールをやり切られましたし、渾身の笑顔で写真に写っていますからね。

 

そういう環境が「注文をまちがえる料理店」にできていたということです。

 

案内
文中に出てくる音楽好きご夫妻の旦那様が書かれた本を紹介させていただきます。
「認知症になっても 愛の二重奏」(幻冬舎 著者:三川一夫)

 

高速道路のサービスエリア

携帯電話が普及する中で「必要不可欠だった公衆電話」ですが、せめて雑草にまみれることがないようにしてやれないものでしょうかね。昭和時代に生まれ育った僕にとって公衆電話には思い出いっぱい・感謝いっぱいで、とても切なく哀しい光景でした。時代の流れなんでしょうがね。

 

和田 行男 さん

1987年、日本国有鉄道から介護業界へ転身。1999年には、東京都初となる認知症高齢者グループホーム「こもれび」の施設長に就任した。